身体(karada) hack

「治してやる!」 から 「なんか治っちゃう」へ

補寫虚実の法則からの拡大解釈 その1

 こんばんは。karada89です。

 もはや朝だろうが昼だろうがこんばんは、って言っている。

 

 

 東洋医学の原理に補寫虚実ってあるじゃないですか。虚には補。実には寫。そのように刺激することで症状が改善する。考えても原理はわからないんですけどすごいことを発見したもんだなと。

 おかげで楽しく治療できてます。昔の中国人ありがとうです。

 

 個人的にこの凄さをどう解釈すればいいのかって疑問に感じたところから今回始まります。

 

 私は常々治療にしても生活にしてもなんでそうなったの?原因はなに?ってところを知りたいんですけど、最近そのなんで?を知ったところで症状や問題が必ずしも解決するわけではないんじゃないかな、と感じてしまってるんですよ。場合によっては原因なんて知らない方がいいんじゃないかと思う時もあるわけで。

 

 原因を知りたいなって思うのは、その原因がもとになって問題が生じてる、って理由を知ることで、原因を取り除けばその問題が解決できるんじゃないかって考え方からきてるんです。当たり前っちゃ当たり前なんですけど、それでどこまで問題が解決できるのかは、ケースによって全然違うんじゃないかって思うんです。

 

 前にも書いたんですけど、

 

karada89.hatenadiary.jp

 

これが原因だって特定してもその原因には更に原因があるわけで。だからその原因をずーっと上流までさかのぼれば今起きてるいろんな事象に惑わされないで、そこさえ押さえれば全てが解決できるって思ってたし、そうであると思うんです。まっとうな考え方だと思うんです。

 原因が結果を生んで、さらにその結果が別の結果を生む母体となって・・・そうやって下流に行けば行くほど対応しなきゃいけない事象が増加するから、いちいちそれに対応していたらきりがない。だから大元をおさえれば枝葉末節の事は考えなくていいし対応する手数も少なくて済むじゃん。それを診断というんでしょって。

 

 この考え方で間違っているとは思わないけど、これがすべてではなくてむしろ全体からしたら部分的な解決にはいいけれどもっと広範囲な問題には適応できないような気がします。

 この原因と結果という考え方ってなんていうんですかね?因果関係?でいいのかな?

 

 因果関係だとして、身体も世の中もこの因果関係だけで出来てないだろうなってところが今回の記事(独り言)です。東洋医学をやっていて何を今更って感じだよなあ(笑)

 

 

 

 

 

 シーソーが傾いていて、左が上がってれば当然右が下がってるわけで。その傾いてる状態を調べて、治療では左をさげて右を上げるわけですね。それでシーソーが水平に近づけば治癒。なんでシーソーを水平にしたら治るんだろうといつも不思議なんですけどとにかく治る。治ることになってる。

 これって左が上がっているから右が下がってるのか、右が下がっているから左が上がっているのかって言われると両方じゃないですか。どっちが原因ともいえるしどっちが結果ともいえる。つまりお互いに関係してるんですけど、おそらくこういう関係性を相関関係と言っていいんじゃなかと。

 このシーソーでは左と右が相関関係にある。なんか言っててバカみたいですけど。

 

 右を治したければ左を動かしても右は治るし左を元に戻したかったら右を元に戻せば左も戻る。どっちでもいいし片方だけでもなんとかなるんですよね。

 

 例えば左に10キロの重りが乗っていたら、10キロの重りを外してもいいし、右に10キロの重りを乗せてもシーソーは水平になる。

 

 大事なことは右と左のバランスをとること。別の言い方をすれば「差」をなくす事、なんだと思います。

 差をなくすことで循環するようになる。循環すれば治る力も増す。

 そのように感じるわけです。

 

 この考え方というか仕組みって実はどこにでも当てはまるし、とっても大事な事柄だと思います。世の中全般に当てはまるんではないでしょうか。

 

つづく(つもり)

手掌診の意義

こんばんは。karada89です。

 

 FT診断の大きな特徴として手掌診があります。入江正先生の大きな功績の一つがこの手掌診だと考えています。

 

 手掌診は大枠で身体のどこを、またはどの反応を優先して治療を行うのかを決定する大事な大事な診断法です。この手掌診を行うことで無駄な治療の手数を減らすことができますし、そして目先のstや症状に囚われずに何の病態を優先して治すべきかも判断できます。誤診を減らすためにも行ったほうがいいものです。

 

 どういうものかというと、患者の手掌をセンサーを当てながらFTをするのですが、まず左右の比較をします。左手は左半身の異常、右手は右半身の異常が現れます。左右の手掌を比較してよりstが強い方の手掌を更に詳しく分割して、上焦·中焦·下焦に分けてその三つのどれが一番stかを診ます。

 上焦の反応が示すものは主に上半身の異常や風邪の初期症状などです。花粉症や風邪で頭痛や鼻水が主訴の場合などにstが出ます。肩こりで自覚症状がある場合も同様です。

 中焦の反応は腹部の痛みや内蔵の症状など。糖尿病や肝炎に由来するだるさや不眠などで出たりします。単純に食べ過ぎてお腹が痛いなどでも出ます。

 下焦は腰から下の症状です。腰痛や膝痛はもちろん、膀胱炎や痛風による症状などです。

 このように自覚症状をどこに感じているかで手掌で一番強く反応が出るポイントが変化します。(手掌の上焦・中焦・下焦の区分けはFTの教科書に載っています。)

 

 

 先日右腰部痛の患者が来院してきました。普段からそれほど腰痛になる要素が少ない方で、パッと見で治るまでそんなには手間はかからないだろうと踏んで治療にあたりました。この時、時間がなく急いでいたので手掌診はせず問診と愁訴診から判断して治療を開始しました。

 その時点での診断は胸腰椎の歪みと仙腸関節の異常。右水・土・金の経筋病、軽い右胃メインの経脈病でした。各種治療を施し、患部のstがsmに変化したことを確認して患者をベッドから座位にしたところまだ起き上がるのが辛そうでした。こんなはずではなかったのに~。

 改めて座位の患者の背後に回り患部をFTしてもやっぱりそれほど強いstは感知できません。

 治療時間は限られているので焦りましたが患者をそのまま座らせたまま手掌診を行ったところ右下焦に寒邪の反応が残ってました。結構強かったですね。でも患部には寒邪の反応はありませんでした。そこで患部(愁訴部)を面でなく線で、つまり患部を通過する経脈(膀胱経)と帯脈の経脈診を行ったところ、膀胱経上に寒邪の反応を感知しました。

 

 私は(も?)患部のstがsmになれば、治療効果の持続性はともかくその場の痛みは消えるものだと短絡的に考えていた時もありました。しかしそれは浅はかな考え方であり、手掌診断を軽視していた現れでもありました。

 手掌部、脈診部、腹部、胸部、大腿部(前面)、頭部(百会や角孫など)を治療後に確認する重要性は正書に記載されているのに、現場の忙しさのせいにしてそれらを怠っていました。このような症例を経験したおかげで手掌のstを消去することで治療のやり直しを防げる確率が高まり結果的に臨床での焦る気持ちが少なくなったのです。

 

 上記の患者はその膀胱経の寒邪を抜くために下腿部に温熱鍼で刺激を加えて立ち上がってもらったらほぼ痛みが消失しました。手掌部の下焦ももちろんsmでした。

 

 身体の大枠をみてどのstを優先的に除去していくか、というのが大切で、患部のstを出発点としてしまうと治療が泥沼化してしまいます。

 例えば患部に骨格の歪みのみの反応があったとしても、手掌診では胃腸の反応が一番stであればそちらを優先して治療すべきです。その後に患部と手掌を改めてFTをして骨格の歪みで共通していれば最後の仕上げで歪みの反応を除去するとスッキリ痛みが取れる確率が高いです。またこのように治療を進めた方が症状の再発率も下げることができます。

 

 局所は局所で必要とする刺激があるのは確かですが、それとは別に身体全体としてまず優先してほしい刺激があるのです。身体を治すための司令部がどこかにあってその司令部の要求に従って治療をしていく方がいいです。司令部が脳にあるのかわかりませんけど、その情報を効率よく得ることができるのが手掌なのではないかと考えます。

 

 

 

 

 

 

何のために今頑張ってるのかなあ?

こんばんは。karada89です。

 

 

 臨床上どうしても診断しなくちゃいけません。診断しないとどこにどう刺激するかきまりませんから。

 でもめんどうなんですよね、診断て。触るだけで治したい。思うだけで治したい。いや、そもそも病気になんてならなければいいんだ(笑)。結構本気でそう思うんだ。

 

 

 いろいろ回復力を上げる方法を考えているけどさ。例えば関節がずれて回復力が低下してたら関節を治せばいいんだけど、そのズレた関節を身体自身が治せないのがまたなんでだろって思うよね。ずれてんなら自分で治しゃいいんだよ、身体が。でもそこまでは強い回復力をもってないってことか。

 

 治療家の役目って最終的には患者を無くすことで自分たちの仕事がなくなることじゃん?軍人の役目って最終的に平和にすることで軍事力が必要なくなるようにすることじゃん?

 

 歴史的にみれば我々の仕事はなくなるわけないんだけど、身体も世界も自浄作用が低下すると病気と戦争が増えるんだよね。自浄作用がしっかりしてれば病気も戦争も減るわけで。そしたら医者も軍人も減るわけで。そしたら税金も減るよね。そしたら仕事量も減らせるから楽できるよね。そーなるといいなあ。

症状 と st その2

 こんばんは。karada89です。

 

 前回の続きをこの前書いていたんですけど、PCが勝手に再起動していて気づいたらブラウザも当然終了していて書いていた内容も全部消えちゃいました(;´・ω・)

 

 しかも何書いてたかも忘れちゃったので気を取り直して書き直します。とりあえず前回の記事を貼りますね。

 

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  FTを覚えて便利になったけどそれによる疑問も増えた。それは今感知しているstは何に対してのstなのか。

 そしてその感知したものを一枚ずつ先寫後補で剥がしていく。その剥がし続けていった先にもっと深い原因にたどり着けるはず。だけどもっと一気にそこまでたどり着きたいな。ってことを言いたかったのが前回。

 

 

 stとは何なのかシリーズをもう一度見返してみました・・・

 

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  stってもしかしたら症状の一つなんじゃないか?っていうところからいろいろ思うんです。

 

 まず、症状や病気っていうのは生物の場合完全に死んだらそういうものは無いんです。死んでしまえば治る力はもう無いんです。だから治癒反応も起きない。よって症状もない。

 生きていて生命を維持する活動の結果として病気や症状というのがあるんです。その生命維持活動時に起きる体内の治癒反応が症状であり、FTだとstでそれが感知できるのではないか。

 

  stにも強い弱いがあります。今更いう事でもないですが。

 

stが強い時、それは病邪と回復力が強くぶつかっている時。

stが弱い時、それは病邪と回復力が弱くぶつかっている時。

 

 緊急性が高かったり激痛だったりそういう急性症状の時はstを強く感知できることが多いです。インフルエンザなんかはよく反応がでます。

 慢性的なそこまで強い症状でない時。例えばなんとなく身体がだるいとか少し腰が重いとか症状が強烈でない場合などはstも強くない場合が多いです。

 

 ここまではなんとなくわかると思うんです。ただこれは今ある症状だけを取りたいってときはこれでいいんですけどもっと長期的な症状であったり、家族歴的に弱いところを改善したいと考えた時にその原因に思いが至るわけです。

 FTをしていてそれを治したいなってことはその対象がstでなくてはいけません。FT治療でできることは 「stを ⇒ smにする」という事だけです。原因を解決したいならその原因がstとしてどこかに表現されなければそれに対してアプローチすることができないわけです。

 

 イメージ診断や音素診断などの共鳴現象を使ってFTをするのは症状に関与している病邪や内因の特定したいからです。共鳴現象をつかうことでより強くstを感知したり、隠れていた原因を特定できます。つまり治したい対象をより強くstとして感知できるわけですね。これは診断をより正確に行うためです。これは一つの原因へのアプローチの仕方といってもいいと思います。共鳴現象を用いることで反応が弱かったり感知しにくいものを強調して捉えるやり方です。

 

 

 

 私が当時学んだ入江式診断法による主な診断部は、

 

・手掌診

・経別脈診(正経、経別、奇経)

・腹診

・経脈診

・経筋診

・愁訴診

・脊柱診

 

などで構成されてます。これに加えて吉本式の診断などもあります。

 

・四海診(今は六海?)

・骨格の歪みの診断(患者の手背と音素で診る。)

・その他

 

 

 この上記の診断部以外に、よりその人の病の原因を表しているチェックポイントがあるのだろうか。もしくは上記の診断部で何かを改善すれば今まで診れなかったものも診えるのだろうか。

 

 

 

 過去に何回か記事の中でさらっとつぶやいていますが、脊柱にヒントの一つがあるのではないか、いや、あるといいなあって感じで考えています。なぜそこに興味を持ったのかというと

 カイロプラクティックでの理論や素晴らしい効果を見聞きしているため。

 入江式脊柱の標治法で焼鍼を使用ときに経験した素晴らしい効果。

 背部兪穴の使い方を入江式で教わっていない事。

 杉田玄白の神経に通るのは「神気」というフレーズが引っかかってること。

 東洋医学で「陰は陽に現れ、陽は陰に現れる」みたいな事を聞いたこと。

 学校で習った陰気・陽気という概念を背部兪穴と腹部募穴に関連付けたいこと。

 ある宗教での言葉や文字などなど。

etc・・・

 

他にもいろいろ数え切れないほどの理由があるのですが、入江式で腹部と経脈の相関関係は習ったんですが、背部と経脈の相関関係は言及してなかったというのがかなり気になっていました。

 

 現在上記のキーワードをもとに臨床を行っていますが、なかなかいい効果を得られてる手ごたえを感じています。五十肩や長年の脚長差、親子で悪いところが似ている身体等、痛みはないがとても筋肉が硬くなかなか除去できないコリを診断できるようになってきました。

 

 

 今までFTをしていて神経というもののランクは低かったのですが、いろいろ研究してみると神経や神経エネルギーというものはかなり重要な概念なのではと感じるようになりました。

 

 

 同じFTをやっている方の意見を聞きたいですね。

症状 と st その1

 こんばんは。karada89です。

 

 私は症状や病気の原因を知って、治療では患者さんの自覚症状に振り回されることなく施術にあたりたいと考え、入江式FTというものを学んでいます。

 

 入江式診断法で診断してみると、現代医学では何が原因かわからなかったものもわかったりして本当にありがたいし楽しいです。

 症状というのは現象であり結果であります。その現象が起きるには理由がありそれが原因だと考えます。

 どうやって原因にたどり着くのか。どのような方法で原因にアプローチするのか。またその技術はどんなものなのか。その技術は臨床で現実的に使えるのか。そのような疑問を入江式FTは解決してくれます。

 

 FTを学んだことで一歩踏み込んだ治療が可能になりました。

 

 ってかくといいことづくめみたいですね~。

 

 

 

 一つ知ると二つ以上の疑問が発生する(笑)(/ω\)

 

 

 

 ははは・・・。

 

 

 

 

 

 ごめんなさい。わけわかんないです。取り乱しました。

 

 

 えーとですね。話はFTですよ。

 

 FTはstを感知して、施術によってそれをsmにすることで治す技法です。

 

 これも繰り返しですが

 

 st = 異常

 sm = 正常

 

 これが大前提です。

 

 

 しかし臨床をやっていると上の前提が不安定になります。

 

 つまり st を sm にしても必ず治っているとは限らない、ということです。まじかよ!なんて日だ( 益 )。

 

 

 (今回の記事は考察ではないんですが、ちょっと考えると)もしかしたら st というのもある意味症状の一つみたいなものなのではないだろうかと頭の中をよぎるわけです。

 根本の原因を探す手がかりとして st を見つけ出すわけですが、その見つけた stというのも更に奥深くに眠っている原因の一つの現れ方に過ぎないのではないだろうか、ということ。

 

 

 1 症状

   ↑

 2 原因(st)

   ↑

 3 更なる原因(stかも)

   ↑

 4 更なる原因の更なる原因(stかも(;´・ω・))

   ↑

 5 もう言わなくてもわかるよね(以下続く【無限かも(゚Д゚;)】)

 

 

 以前佐賀の吉本先生のFTの論文を医道の日本で読んだ中に、

 

 「東洋医学の治療の原則として 先補後寫 というものがあるが、FTで治療する場合 先寫後補 で進めていく・・・」

 

的なことを書いた記事があったと記憶しています。

 

 例えば急性腰痛を治療していく場合、入江式で診断していくと以下の反応などがあったとします。

 

・風邪(膀胱メイン 大腸サブなど)

・寒邪

・経筋

・脊椎や骨盤など骨格のゆがみ

・胃腸の不調

 ・慢性的な内臓疾患

・その他遺伝や精神的なものなど

 

 実際に診断してみないと確かなことは言えないですけど、急性腰痛であればFTで診断していくとおそらく経筋や風邪の反応、もしくは骨格の歪みなどが一番最初に感知検出出来る事が多いと思います。

 患者さんに慢性的な病気、たとえば糖尿病があったとして、普段は糖尿病の脈診反応だったとしても、急性腰痛などになると反応の仕方は一変すると思います。

 

 FTの特性上、一番stが強い反応なものから治療していくようにできています。ここで上記の「糖尿病患者の急性腰痛」というモデルを診断治療していくと、まず風邪や経筋や骨格の歪みのstが一通りsmになった後にようやく胃腸の不調のst、そしてその次に糖尿病の反応や精神的なもののstなどが出現してくる。

 東洋医学的な病気の発生機序として、普段のストレスや内臓病などの内因により治癒力が減退した所に風邪や寒邪、姿勢不良などの外因が作用し一挙に腰痛という症状が表現されるのではないだろうか。

 

 このモデルの場合おおまかに言うと急性腰痛の原因(内因)は

 

・胃腸の不調

・慢性的な内臓疾患

・その他遺伝や精神的なものなど

 

だと考える。

 

 しかし実際FTを使用して治療を進めていく際は

 

・風邪(膀胱メイン 大腸サブなど)

・寒邪

・経筋

・脊椎や骨盤など骨格のゆがみ

 

 

 おそらくこれらを先に除去することになるはず。

 

 東洋医学の治療原則に則れば、先補後寫なので、まず全体の虚(内臓疾患によるもの)を補った後に実の病邪(外因)を追い出すようにする、という事になるがFTを使用して治療していく時、強いstから除去していこうとすると、病邪(実)を先に寫し、それらの治療の後にようやく慢性疾患(虚)のstが出現してくる。

 急性の症状がある時は慢性疾患の反応は一旦影をひそめて急性の反応にがらっと変わってしまいます。

 

 今の症状の原因であるstを取り除くと次のstが出現する。その出現したstを取り除くとまた別のstが現れる。その繰り返し。

 次々と現れるstを取り除いていった先にはどんな原因が待っているのか。

 

 

 症状の原因と思われるものをFTを使ってstを感知してそれを取り除く。FTを知る前よりはるかに病態を正確にとらえて原因を除去できるようになったと思っていたけど治療に終わりはありませんね。五感を使っていては診えないものがFTを覚えたことで診えるようになった。だからといって物事の原因と結果の法則をひっくり返せるわけでもなくFTで何かがわかるようになった反面それによるわからない事もそれ以上に増えてきてます。

 それで最初の方でわけわからないことを口走ってました ⇒ (/ω\)

 

 こう考えてみると、その人がもっているすべての病気をFTで同時に捉える事というのはできないという事です。患者さんが今の症状を発現するに至る病気の原因と結果の蓄積が何層にも重なっているんですね。そしてその層をFTを使った治療で表層から深層にむかって一枚ずつ反応を取り除いていく。

 表層のstほど症状といえるし、深層のstほど原因といえるがそれはあくまでも相対的な捉え方でしかないんですね。

 

 しかし私としては相対的な反応を一枚一枚丁寧にはがしていくのは面倒で、理想を言えばいきなり根元を取り除きたいんです。それが無理ならせめて一枚一枚じゃなくて何枚かいっぺんに取り除きたい。とにかく楽に仕事したい。

 

 そのためにはただ単に目の前にあるstを今まで通りのやり方だけで捉えるのでは足りないような気がしてます。

 世の中にはそれはもう摩訶不思議なやりかたで重い病気を取り除いてしまう先生方もいるんですよね。そういう人たちはいったい何を感じているのだろうか。

 そういうものをいつかコントロールできるようになりたいけど、今のところは無理なのでこうしてFTをつかっていろいろ試してます。

 

 そして今個人的なブームは脊柱の矯正、そして「気」以外と思われるエネルギーをFTで捉えて臨床で治療に応用していることです。脊柱の矯正もあくまでも筋肉や経脈の調整で行っていくやり方です。そしてそれらの調整が入江式の本治法の効果をより向上させるのではないかと期待しています。

 

 

st とは何なのか? その7 常識を疑ってみる

こんばんは。karada89です。

 

 

 久方ぶりに書いてます。私の日常はいたって変わりなく過ぎていってます。

 

臨床にてFTを使用していかに楽して治すか。

 

 もうこれに尽きます。その毎日。

 

 

 

 入江式FTを使って治療していますが、入江式のマニュアル診断を忠実に行う時間的な余裕がありません。そして入江式の診断方法のみだと取り切れない症状があまりにも多い気がします。ですので時短と治療効果の向上をもとめて試行錯誤しています。

 

 そのような形で自分なりの考え方でstを追い求めていたら、今のところ自分が一体どこにいるのかわからなくなっています。答えに近づいてるのか遠のいているのかわかりません。

 ただ技術的には焼鍼を使うことが多いですね。刺さないし、お客さんも治療してもらっている感がありますし便利ですね。治療効果もよくでます。

 IPは置鍼してやる分にはいいんですが、ツボによっては鍼を刺すには敏感な場所もあるし、だからといって接触IPだと治療してもらってる感が少ないようです。劇的な効果が出る方はその限りではないんでしょうけどね。

 

 話は変わりますがこの夏頃、私は大きく体調を崩してしまいました。左の眼球のひどい痛みと激しい頭痛に襲われ、特に最初の2日間は一睡もできないほどでした。自分が病気の時にFTで検査するのって非常に体力というか気力を消耗するので疲れるんですけど、このときは何とか治りたくて自分で必死で診断しました。

 結果的に入江式に接触でIPをつないで治療しました。その結果つないで5分もしないうちに寝ていました。痛みもほぼ取れて一安心しました。こういう結果をみると入江式FTすげーってなるんですけど、お客さん全員にこのすげーを体感させるには至りません。

 

 過去に妻のインフルエンザを入江式IP治療でやはり即治させた経験が何度かあるのですが、急性症状で症状が強く出ている風邪なんかは患者からでている反応がすごく捉えやすくて入江式のマニュアルに沿って治療していくと本当によく治るなあと体験しました。

 

 

 

 

 

 過去に繰り返し書いてますけど、FTで治療するばあい

 

  「st を sm にする。」

 

というのが前提です。

 

 

 というこは、stがまずないとsmにできないんです。

上記の風邪の時みたく、きちんと講習で習った通りの反応ならわかりやすいのですが、臨床だと、とくに整形外科的な疾患だとわかりずらいです。私だけかもですが。

 

 以前にstとはなにかを考察してきて中間報告を書きました。

 

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  日々の臨床でこの報告はやっぱり間違ってないと考えている反面、逆にこの報告は早計だったのかもと不安になるときもあります。

 ただ単に自分のFTの感度が悪いだけで主訴部には必ずstが出現してるって先生方もおられるはず。stがないからほかのところを治療して回復力を強化すればstが出現するとか回りくどいことを言うのはFTが下手なのを言い訳しているだけなんじゃないか。そう考えてしまう時もありますね。実際そうかもしれないし(笑)

 

 今回stについてこんなに迷っている文章を上で中間報告を書いてしまったという事も有りいろいろ試した結果、治癒力を強化しているかはわかりませんが、stが検出できなかったところに検出できるようには大分なってきました。

 そうなった経緯に手背センサーの定義を見直したことにあります。

 

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 上記二つの記事も確定事項として発表してるわけではないのですが、

 

     手背センサー = 寒邪

 

 を疑うようにしてからは治療成績が上がっています。詳細は書きませんけども。

 

 

 

 

症状の意味について思う事 その1

こんばんは。karada89です。

 

今回は症状について思うところを書いてみます。

 

 

 日々来院される患者さんは医療機関に何をしに来ているのか?実はそれは人それぞれだったりするのですが、わたしとしては来院される目的は今ある症状をとりに来ている、のだと信じています。

 

 もう少し言うと 自覚症状 を取り除きたい。それにより 

 

  不快 ➡ 快

 

  不安 ➡ 安心

 

こうなりたいはず。

 

 

 その自覚症状というのを手っ取り早く取るものの代表的なのは「痛み止め」ですね。痛み止めは痛みに対してですが痛み以外の症状を止めるものとして、解熱剤とかステロイドとか。

 自覚症状というのは実際に自分で感じている症状の他に健康診断などの検査数値などもあると思います。例えば高血圧とかコレステロールとか体温とかそういう数値も個人的には自覚症状に含まれると思ってます。何故ならば患者さんの健康に対する知識(思い込み)が良くも悪くも昔に比べて深まっているからです。検査結果による数値をみて不快や不安になったりする。逆に数値をみて安心したりもする。数値が感情を不安定にさせる。

 

 セルフケアという意味合いで患者さんの医学的知識が高まるのは大変良いことだと思います。しかし物事の本質をみるというスタンスがないと検査結果に心が乱されることになり兼ねません。

 例えば高血圧を取り上げてみます。

 現在血圧の正常値は上が140mmhg未満、下が80mmhg以上、という目安になっています。(昔と基準が変わって、正常値の設定が高めになりました。これもおかしな話ですけどね。)

 この正常値から外れると高血圧とか低血圧とか症状名が付くわけです。因みに高血圧は上が140以上、下が90以上です。まあここまではいいんです。

 ただ、この数値だけを見て

「140を超えました、ハイ!こうけつあつ!!!残念!降圧剤決定。一生飲み続けますー。」

ってなったりもするわけです。

 問題は140を超えた血圧値をどう判断するのか、ということです。

 

 血圧って読んで字のごとく血液の圧力のことです。心臓と動脈で血液を身体の隅々まで届ける時にポンプのように圧力が必要なんですね。ポンプ圧を高めて速やかに必要な場所に必要なだけ血液を届ける。そのような機能が生き物には備わっている。素晴らしい!

 この血圧調整機能はよくできていて、例えば運動時に筋肉が多量の酸素を使用すると、その使用した酸素を速やかに補うべく血圧と心拍数を上げてわっしょいわっしょい血液を送り込みます。このわっしょいわっしょいな時は血圧高いです。上は180を超えたりもします。

 でもこの180だけを見て「やばい、高血圧だ!」とはなりませんよね?

 それは運動してる時だから上がるのが当たり前、と理解してるからです。そして運動をやめれば血圧も心拍も落ち着いてきます。

 

 この場合、本質をみるってことは仕組みを知ろうとするということで、仕組みを理解してると180の数値に動揺しないわけです。不安にならないわけですね。

 

この血圧に限って持論を言わせていただくと、わたしにとって血圧というのは消防車の水を出すポンプと一緒で、消火には水圧が必要。より高い建物の火災を消火するには水圧を上げてより遠くにより大量に水をおくらなければならないはず。その火災状況によるのでしょうが早く消すためにはより強く水をおくるはず。

 そして消火が進めば火はおさまってくるので水量も減らすし水圧も減らすはずですね。

 つまり何が言いたいかというと、身体が治したい場所(自覚症状の有無は関係なし)が火災現場で血圧が火消しだということ。治しておくべきところにはなるべく多く血液に栄養や酸素、修復するための材料を送りたい。また、患部からはなるべく余計なごみなどは早くどかしたい。そのためには血液の循環が必要なのではないかってこと。そしてその循環には血圧が必要なのではないかということ。

 

 あくまでも持論なのですが理に適ってると思うんですよね。高血圧のリスクで血管の破裂がありますけど、あれは高血圧が原因というより血管の硬化が問題だと考えるわけです。ホースを治さなければ火災現場まで水が届かないですね。水圧あげれないから。

 動脈硬化の原因を治すために血圧を上げてそちらの原因の箇所に血を送る。そういう風に身体はできてると思ってます。

 

 必要だから血圧が高いんです。でも数値だけをみて闇雲に降圧剤を常用すると血圧が下がるんですが身体自身が治したいところに血液が行きづらくなる。薬で血圧を下げられた身体はもっとポンプの力を増やして患部に血液を送ろうとする。それで血圧が上がる。その数値を診てより強い降圧剤を飲む・・・・・というスパイラルを長期間続けると心臓肥大を起こすようになる。薬で下がった血圧を補うために心臓が強化されてしまっているんですね。そのような患者さんの背中は心臓の裏あたりの背中の筋肉が膨れて硬くなっています。

 

 

 上記は血圧に関しての持論ですが、とにかく理にかなった身体の仕組みを理解しようと試みる、というスタンスがとても重要だと考えるわけです。今のこの苦しみ(症状)には一体どんな意味があるのか。

 熱が出る。下痢をする。咳をする。腰痛になる。頭痛になる。不安になる。・・・

 

 症状というのはただ単に苦しいだけではなく、実は自己治癒機能の働きの結果だというふうに考えた方がいろいろ辻褄が合うと思います。脳に疾患があって頭痛になったとして、頭痛を単に止めればいいのか、それともこの頭痛は何かのサインなのかな?と考えてから薬を飲むのでは全然ちがうと思うんですよね。

 個人的には頭痛というのはやはり何らかの形で脳神経系に負担がかかっている現れだと考えてます。肩こりが頭痛の元になっていたとして、肩こりがとれて頭痛がなくなれば、肩こりがなんらかの形で脳神経系に負担をかけていて、その負担を解消するために頭痛というサインを出していたんだな、と思うわけです。

 

 例えばですが、肩こりが原因で脳の血流量が減ったとします。脳というのは身体の中でも超重要な器官ですよね。ここにダメージを受ければ身体全体の機能に関わります。常に潤沢な血流を確保されてしかるべき器官です。その器官が肩こりのせいで血流量が減少したとしたら大事です。他の部位に優先して血流量を確保しなければなりません。その血流量確保の為に頭痛を起こすのではないか・・・。

 

 身体は優先して治したいところに強い痛みを起こして血流量(治癒力)を確保する機能が備わっている、という考え方です。

 ですから闇雲に痛みだけを消すというのは身体の治癒システムの運営の邪魔になるような気がします。痛みは辛いですが痛みだけ消すというのは危険な場合もあるのではないか。そしてそれは痛みを含めた症状全般に言えることではないのか、ということです。

 

 自覚症状 = 悪い事

 

ではないということです。症状は辛いけど。

 

 現代は医療も簡単に情報が手に入りますが物事を穿ってみるというスタンスでないと結果的に薬漬けになるような気がします。

「自覚症状から早く逃げたい。痛いの痛いの飛んでけーー!」

ばかりやってるとおかしなことになっていきます。

 

 自覚症状を消すことと病気を治すことがイコールではありません。辛いけど(笑)