手背センサー(術者側)の役目 2
こんばんわkarada89です。
前回の
【手背センサー(術者側)の役目 1】
ここで書いたセンサーの役目についての続きです。
FTを使用しての臨床の場合、FTというのは検査機器だと考えるわけです。検査機器のはじき出した情報を解析・分析・診断をして治療方法を決定するわけです。だから検査機器の情報が不正確であったり統一性がなかったりすると治療方法に誤りが発生する原因となってしまいます。
いかにFTの感度と精度を高めるか、というのがFT使用者の修練の目的であり課題でもあると考えています。
そのFTというのはセンサーとテスターという役割をそれぞれ片手づつに課します。FTを練習した結果、このセンサーとテスターの感度と精度があがるのが望ましいわけです。
ここでセンサーをとりあげると、センサーはいくつか種類がありますが、病気の情報によってその都度センサーの形(手の形)や当て方を変えます。
例えば手掌で感知できなかったものが手背で感知できる、とか、患者さんの体表に接触して感知できなかったものが触れないでFTをしたことにより感知できる、とか。
つまりセンサーの感度をいくら高めてもセンサーの種類が違っていれば感知できない反応もあるわけです。今回の表題で言いたいのはこのことで、患者さんの体表から出る病の反応とそれに対応するセンサーの種類の定義というものが実はまだ定まっていないんではないのかという事です。
前回、例として経筋病を捉えることにフォーカスしましたが、そのとき使用したセンサーの分類を試しにしてみると
1 a 手背 or b 手掌
2 a 音素をイメージする or b しない
3 a 接触 or b 非接触
上記のように3分類6種のセンサーが個人的には考えられます。
実際臨床で上記の分類を使うとして、患部の反応を診る時
手背を接触させながら「ボウ」(音素)をかける、とか。
手掌を接触させないで音素もかけない、とか
手背を接触させないで音素をかける、とか。
病気の反応が違えばこのように組み合わせが変わるのではないかと。
試しに上記の3分類に考えられる病気の反応を当てはめてみると
1 冷えとそれ以外
2 経筋かそうでないか
3 急性か慢性化
または
1 陰気か陽気か
2 冷えかそれ以外か
3 経筋か経脈か
など。
いかがでしょうか。個人的にこう考えているだけでみなさん問題にもされてないかたもいると思います。
東洋医学は陰陽論なので裏と表、光と影、内と外、上と下、動脈と静脈、理性と感情...と常に二面性や矛盾を肯定している医学だと思います。むしろ矛盾がこの世に実在するための大前提!と言ってるようにも思います。矛盾万歳!!!!みたいな(笑)
センサーも常に陽と陰みたく対になってる病邪をとらえるために相対する2つの種類のセンサーを1分類としていくつかあると思ってます。
手背センサー(術者側)の役目 1
こんばんわ karada89 です。
FT をやっていて診断に使うセンサーのお話です。
過去に私が東京FT塾で習った時点では、施術者側のセンサーは大きく分けて
・S1
・S2
・S3
に加えて
・奇経診断部のセンサー
・経筋のセンサー
・経脈を感知する親指を除いた4本指をそろえるセンサー
の六つでした。
そこに手背センサーという名前のものはなかったです。
医道の日本のFTの記事を読んだりして新たに得たセンサーがあり、その中に手背センサーというものがありました。
その手背センサーというものは論文によるとどうやら 「寒」 に反応するようです。
手背側というのは陰陽論でいくと 陽 ということらしく
手掌側というのは反対の 陰 になる、という事みたいですね。
寒邪というのは外邪の中の一つで冬に発生しやすいものです。現代ではエアコンや冷蔵庫などが発達したため、現代人というのは常に寒邪に侵されやすいとか。
で、陽である手背というのが寒邪に敏感に反応しやすい性質をもっているらしく、患者さんの症状に寒邪が関与している場合、この手背センサーでその有無を確認し治療するということです。
東洋医学原論をよく読んでみれば、FTの習得方法の一つにコップの中身がお湯か冷水かを当てるというものがあって、冷水の場合手背センサーで st になるみたいなことが記載されてますね。手背は陽なので、陰の性質である冷水の気は陽を傷つける、故に害になるので st になる、ということらしい。確か。
(めんどくさくて後述するかわかりませんがこの定義も疑問)
なので私もそのころは
寒邪には手背センサー
と思い込んでました。今も頭の端っこにはそういう認識を留めてあります。
そこでですが。FTの診断法のなかにイメージ診断というものがありまして、これ、みなさんご存じな方もいらっしゃるとおもいますけど。
術者がイメージしたものが患者さんの体内に存在していればFTが st になるというものです。
患者さんが風邪をひいていれば、施術者は頭の中で「風邪」という文字をイメージしてFTをすると st に.なるという個人的にはワンダフルな現象が起きます。O-RING TESTとかやってない人は到底理解できない現象ですよね。
イメージするのは私の場合もっぱら文字ですが、絵でもいいし写真でもいいし、なんなら物でも音でもいいんです。
このイメージ診断はO-RINGテストでいう共鳴現象だと思います。この共鳴現象というものが存在する、と確信した上でFTを使っていますが、これであれこれ文字の共鳴を調べてみるとですね、先ほど記述した寒邪ってのが怪しいんすよ。
寒邪は手背センサー
ってやつが怪しい。
臨床で寒邪という文字を頭に浮かべてFTをすると st になる時は確かにあります。
しかし、それは手背センサーで st だったところに寒邪という文字で必ず共鳴現象として認識できるのかというと個人的にそれはないです。
つまり・・・
手背で st = 寒邪がある
ではないってことです。確定ではないんですけどね。
話は少しズレますが、FTを習いたての頃教えられたこと、もしくは論文に書いてあることになんか一貫性を感じ取れなくて困惑していることがいくつかありました。しかし
自分はまだまだFTが下手だからこんなことに疑問をもつなんておこがましい!
とかわけわからない形で思考を封印して疑問を晴らさずに放置してました。もっともその疑問を晴らすだけの能力と自信と準備が全く整ってなかったからなんですけどね。その困惑しているいくつかのひとつにこの手背センサーがありました。
例えば
経筋の証を手掌診断で確認するために、S2もしくはS3のセンサーを相手の手掌にあてながら「ボウ」という音素をイメージします。
「ボウ」で st が強くなる場合、次は手背センサー(講習会ではこの名前ではなかった)で親指を除いた4本の指をまっすぐ伸ばしそろえた状態で、指先を患者さんの頭の方に向けて顔面と胸部と鼠蹊部あたりにある経筋診断部にあてFTをして st かどうかを診断します。
上記で st なら、さらに手足に流れる6本づつのどの経筋に異常があるかを調べていきます。このとき使用するセンサーは中指の手背側を使います。手の形はファ〇クユーみたくなるかも。
治療は焼鍼を使って経筋の流注に沿って手足の末端から中枢に向かって接触していく・・・
ここで疑問、は俺だけ?
なぜ手掌診のときはS2などのセンサーをつかって音素をかけるのに、その次の診断では手背センサーを使用するのか?
経筋が寒邪に侵されているとして、手背センサーを使うのは理解できる。加えて手背を接触させて診断するのは経脈でなく経筋を捉えるためなのか?とも推測する。
でもそれならば「ボウ」が経筋の音素というのはどうなるのか?患部にS2センサーで「ボウ」をイメージしても良いのではないか?または手掌に手背センサーを接触させて診断してはいけないのか?手掌と患部で感知できる反応に統一性を求めてはいけないのか。
そして【S2センサーで「ボウ」の音素の診断方法】が【寒邪に侵された経筋】を捉えているとしたら【手背センサーで患部に接触させて捉えているもの】というのはなんなのか?逆に【手背センサーで患部に接触させて捉えているもの】が【寒邪に侵された経筋】を捉えているとしたら【S2センサーで「ボウ」の音素の診断方法】でとらえているものはなんなのか?
どちらも【寒邪に侵された経筋】をとらえているというのなら診断方法に混乱をきたすだけだと思うのだけどどうだろうか。ここに一つの一貫性のなさを感じた。
ここだけ見て入江式FT診断方法全体をひっくり返すわけではないが、手背センサーの感知するもの、手掌センサーの感知するものが一定しない。また「ボウ」という音素が経筋というのも確定できない。もしかした「ボウ」は 寒邪に侵された経筋 でなくてただ単に 寒邪 を感知しているのかもしれないと捉えることもできるはず。
ある論文では
手背センサーで「ボウ」は寒邪による経筋病
手掌センサーで「ボウ」は熱邪による経筋病
熱邪による経筋病は入江先生はドライアイスで処置してましたね。
この論文だと確かに手背センサーは寒邪と定義できるし、「ボウ」は経筋病と決めることができる。
しかしそうなるとFT塾で習った 手掌センサーを使って手掌診で「ボウ」のやり方は熱邪の経筋病の診断になっちゃうじゃん!手掌診では熱邪を捉えて、患部では寒邪を捉えるの?おかしくね?
とおもうわけです。
あとそもそもの話になっちゃうので混乱させてしまうかもですが。
FTって共鳴現象の側面があるじゃないですか。先ほど記述した 手背側は陽 として手背センサーを使用した場合、手背は陽だから陽性のものと共鳴現象を起こす可能性はないのか?とも思うわけです。それがあるから手背センサーは寒邪を感知する!との定義はなおさら疑問なわけですよ。
ここまで書いておいてなんですが、あれこれ今までの知識を疑って、臨床で試行錯誤して検証して、患者さんが一番効率よく治ったときのやり方や方法論が正解ってことですよね。
もしどなたかアドバイスなどがありましたらコメントいただけると嬉しいっす!
え?タダじゃ教えない?
気持ちの問題。それが重要じゃない?
こんばんは、karada89 です。
わたし、子供のころよくファミコンで遊んでいたんです。その世代。ドラクエ1とか2とか大好きでした。友達とどのくらい謎を解いたかって話でもりあがってました。
TVゲームって結果がでるから超楽しい( *´艸`)。結果が出るように作られているから楽しいです。ある意味踊らされてるんですけど。
きちんと上手くいくための手順とか道筋とかうまくいった時のご褒美とか全てが用意されている。どうしたって上手くいくようにできてるんだからこれ楽しい!ストレス解消になる。
ただRPGなんかは、クリアした後今までの苦労も全部クリアされちゃうのでなんか時間を空費した感覚になっちゃう。「あ~。いままでの時間はなんだったんだろう」って。
TVゲーム全般がそうではなくて、たとえば友達と対戦するゲームなんかはそんなことないし、いまのスマホゲームも通信で誰かとつながったり共通の話ができたりするのはやっぱり楽しい。
そのゲーム自体が楽しいのにプラスして誰かとつながっているってのがゲームをやって虚しさを感じないコツなのかな。
たぶんゲーム会社もそのへんの事をわかって作ってるんだろうなって感じる。すごいよね、ゲーム会社って(笑)
上手くいくことをやってる時はやっぱ楽しいし自信とか優越感とか俺スゲーって感覚になれる。
逆に上手くいかないことやってると俺ダメってなる。
でもさ。自分が好きなことやってる時って上手くいっても簡単すぎるとつまらなかったり、逆に上手くいかない時に燃えてきたりするよね。
これが好きなことかあ、っておもうわ。わかんないけど。
そう考えると今の仕事って・・・微妙(笑)
この微妙ってのがわかんなくしてるよね、自分の感覚を。
心底嫌いだったらとっくにやめてるんだろうしね。
続けてるってことは、まあ、まあまあ好きなのかな?
わっかんなーい。
いろいろ治療技術的に、「発見したかも!!!!」って瞬間は楽しいし、それで治ったらハッピーだし。
でも治らなかったら凹んでるしね。ってことは好きな事じゃないのか?
上手くいきそうだから、結果がでそうだからやる。
上手くできなそうだから、結果がでなそうだからやらない。
ってのは別に悪い事ではないと思うんだよね。でもなんていうかなあ。なんていうかなあ。なんていうかなあ。なんていうのかなああああああ。
なんかパッとしない。
なんか輝かない。
なんか、暗い Σ(゚Å゚)
だから、俺ってば暗い。根暗(^▽^)/
どんまいどんまい。
感覚って 3
こんばんわ。karada89 です。
治療をしていて、
「お!これはよくなりそうかも❤」
って手ごたえを感じる時、それは詰まったものがとれてスッキリする感覚みたいなことを前回書いてみました。
これって自分の身体を治療して気持ちよくなったり、考え事をしていてなにかに気付いて気持ちが楽になったときに自分自身にもすごく感じる感覚。スッキリしてつきものが落ちるというか。自分だとそれがよくわかる。
この感覚って本来健康なら常日頃感じてる感覚なのかも。そうしたらもうただ呼吸してるだけで幸せじゃん!て思います。生きていることが気持ちよすぎ!ただ存在してりゃいいんだから笑っちゃう、くらい気持ちいい。これが幸せ感?
私はこの幸せ感を治療で再現できたらいいなと、いろいろ試行錯誤している部分があるんだと思っていて、しかもそれは他人の為ではなく自分の為にやっている。
昔から得も言われぬ不安感に襲われたりすることが時々、いや、しょっちゅうあって、いろいろ原因を考えているけれど、それが過去の出来事なんかな~、体験によるものなのかな~とかいろいろ考えたりするけど、それとは別にごくまれに妙に調子いい時はすごい安心感に包まれている時もあるわけで。調子がいい時ってなんで調子がいいか考えないし。
ということは精神的とか心理的以外に、身体の調子によるところもあるのかなと。
そんな症状がとれないかなあって自分のために治療している。
心理学的に調べればいろいろそれなりの原因や要因が見つかるんだけども、解決方法はあまり大したものは見つけることができない。
話はそれるけど、日々仕事で治療していると診断上、原因っていうのを考えるんだけども、原因には原因があって、その原因には更に原因があって・・・・っていうのを延々くりかして本当の原因て何?ってなる。
そもそも原因なんてあるの?なんて身も蓋もない事まで考え始めたり、そもそも原因と結果の思考法そのものに問題があるのか?と感じ始めたり。なにか「そもそも」って前提をひっくり返さないと病気のことなんてなにもわからんような気になってる。
ん?ひっくり返す?
え?ひっくり返す??
ひっくり返しちゃう???
原因と結果をひっくり返す?え??????逆なの?
逆なの?もしかして逆?ていうか
逆????????????????????????????????????
( ´゚д゚`)エー
てそんなひらめきがあってですね。
そこからさらに閃いて、ひっくり返したのをまた元にもどしてもいいじゃねーか? と!
原因と結果とかって、上と下みたいなもん?
どっちが最初とかあんまりかんけないとか?
どっちでもいいのか?
どっちでもいいのか?
それでいいのか?
てなるとですよ。
病気になる ➡ 不安になる
健康になる ➡ 安心する
これを
不安になる ➡ 病気になる
安心する ➡ 健康になる
でもいいんじゃね?
ついでに
ホッとする ➡ 安心する ➡ 健康になる
つまり
幸せ感 ➡ 安心感 ➡ 健康になる
ってこと。
で、この左から右へ向かう矢印は逆向きにしちゃってもいい。どっちが本当とかなくて、どっちもだしどっちでもいい。
この矢印の向きを逆にするのはきっと因果関係で考えてることになんでもあてはまるんじゃないかなと。その時々で自由に矢印を変えちゃっていい。というか勝手に矢印を決めてんのはその人の思い込みかも。
風邪をひいてしまって ➡ 熱がでる
を
熱を出すために ➡ 風邪をひく
にしちゃってもいいんじゃない?だめ?
ご飯を食べるから ➡ 太る
を
太る体質だから ➡ 食べたくなる
煙草を吸うから ➡ 呼吸器が悪くなる
を
呼吸器が悪いから ➡ 煙草を吸いたくなる
で、身体が悪くなると不安になる。不安になるといろいろ考えちゃう。
不安になるといろいろ考えちゃうのは身体が悪いから。ってことはその今いろいろ考えてる原因は実は身体がただ悪いだけってのも有り。それが正しいのか間違ってるのかわからない。わからないから正解はなくて、ただその
思い込みの矢印の方向
はただの思い込み。それに気づかないのが病気。その感覚に気付かないのが病気。
おそらく気付いた瞬間に、おそらくその感覚が分かった瞬間に病気は減っていく。なかったことになると思う。
この文章を読んで理解してもダメ。感覚。感覚。感覚。感覚。感覚。感覚。感覚。感覚。
この矢印の向きをかえられない理由をどうしても探しちゃう。知識で探しちゃう。ググっちゃう(笑)
感覚って 2
こんばんわ。karada89 です。
前回の続き
感覚でエネルギーの種類を分けることができるとなると、それは FT で可能なんだろうか。
FT って人間の五感のうちの触覚なんだけど、ずーっと FT やってるとなにか触覚以外の感覚もわかってくる、ような気がしてる。FT がそういう特性をもっているというよりも FT を毎日やってると元々備わってる感覚が研ぎ澄まされてくるような感じ。呼び起されるとでもいうのかな。
で、その呼び起された感覚って五感のどれかというと、もうそれはわからない。第六感といわれるものなのかもよくわからない。第七感かもしれないし第百感かもしれないし。
とにかくなんか感じる。
とにかくなんか感じている数ある感覚の一つに うんちがお尻の穴を通過している最中のあのような感覚ってのがある。わたしの場合だけど。
で、それはどんな時に感じるかというと、患者さんの症状がまだ取れてない、もしくはこのまま治療を終了しても回復しないだろうっていうとき。うんちが通過してる感覚といっても臨床中に実際自分のお尻に感じてるわけじゃないんだけども。
うんちがスッキリ出きってしまった感覚なら改善するなと思えるんだけど、まだ直腸に残ってる感じだとあまり治療成績は良くない。詰まってる感。
この詰まってる感は何が詰まってるのかというとそれはわからない。「気」なのかもしれないしそれ以外なのかもしれないし。
ちなみにこの詰まってる感じは sm と st とは関係ない。
st でも詰まってる感がなければ良くなっていくことが多い。
感覚の話が個人的なものであるので、うんこが詰まった話はとりあえずおいておいて・・・・
感覚って、極端に言えば自分だけのものだと思う。
カレーライス食べて
「これちょーうまくね?」
「うんうん!すげーうまい!」
って瞬間、同じ感覚になってる気がするし、そういう状況だとなにか相手と一体になれたような感覚になるけどこのカレーがおいしいと感じてるその感覚はみんなその人だけのもの。
このそれぞれの感覚を正確に「こんな感じ」って他者に伝える事ってできるんでしょうか。
伝えるとなると伝えたい相手に自分と同じ事をさせて体験してもらえばいい気もするけど、やっぱり人それぞれ感じ方は違うわけで。
自分で何言ってるのかわからなくなってきた(笑)
治療に関してだけど、この感覚というのを可能ならば、文字にして文章にして、そして FT とリンクさせたいと考えています。そして他者に正確に伝えることができるようにしたい。
FT っていう技術(ハードウェア)身体に覚えさせて、一方で診断学(ソフトウェア)を頭に叩き込み、そのハードとソフト両方を臨床で使い、そこで感覚を養っていく、それをソフトウェアにフィードバックして上書きしていく。
ハードウェアはその人の感覚ではあるんだけど FT という技術が感覚を養う入り口になっている。そしてその技術の内容は sm(スムース)と st(スティッキー)の二種類でありそれもわかりやすい。sm st って感覚でありながら言葉で伝えやすいんじゃないかな。
感覚って
こんばんわ。karada89 です。
わたしが治療のために読んだ本で 「邪気論」(医道の日本社) ていうのがあります。奥平 明観(おくだいら めいかん、であってると思う)という SUPERな先生が書いてます。いえいえ、お会いしたことはありません。高田馬場に治療院があるとかないとか。
その方はいわゆる 気 をとらえて治療するようです。それですごい結果を出していらっしゃる。
ところでわたしは 入江式フィンガーテスト というのを治療時に使うのですが、改めて入江先生が出版したテキストを読み返すとこの技術って
- 気を捉える技術 -
とは書いてないんですよね。
- 体表から発する微小反応を捉える技術 -
なんですよね。「気」とは言ってない。
入江先生の真意はもうわかりませんが、これを見て個人的にまず納得です。入江FTが「気」を捉えてないとはいいませんが、そもそも「気」っていうのが正体不明。もしかしたら感じてるのかもしれないし捉えてるのかもしれないけど、その感じて捉えてるものを
「これは気ですよ」
とは言えない。言わない。まあ言っちゃっても害はないけどわからない。
そこで 邪気論。
奥平先生は、気をコントロールしてるらしいのですが、どうやら気だけでは治せない、それを超えたものがあるっぽいことをこの本で言ってるんですよね、確か。超えたとはいってないかな。気以外のものだったかな。違かったらすいません。
気でさえも不確定なのにそれ以外て何よ?
今感じてるものを
「これは気でこっちは気じゃないよ」
とでも言えるってこと?すげーなそれ!すげーかどうかもわからんけどスゲー!!!
でも考えてみたら気がなにかしらのエネルギーだとしたら、ほかにも目に見えないエネルギーらしきものはたくさんあるわけで。そして人々はそれに様々な名称を勝手につけてる。
光 熱 電力 磁力 物理的な力 オーラ チャクラ プネウマ ・・・・
たくさんあるよね。今日本語で思いつくのはこれくらいだけど、もしかしたら外国語も含めればもうきっと沢山あるに違いない。
でも名づけるってことは違いがあるんでしょ?名づけるってことは分類してるんだもんね。きっとそうだ。
だから 「気」 って名づけてる。そういうものが分類できてる。
いまのわたしにはわからないけど、奥平先生や漢の時代の先生はきっとわかっていたはず。
カイロプラクターの先生たちはどうやら神経エネルギーというものを調整している。
鍼灸師はどうやら気というものを調整している。
ヨガなどはどうやらチャクラをコントロールしてる。
気の調整で治らないもの。それとは違う種類の何かしら。それよりすごい何かしら。
きっとそういうものがあって、そういうなにかで生きているっぽい。生き物は。
んでもって、そういうなにかすごいエネルギーが正常に体の中を回れば、回すことができればいきもの本来の輝きが増すんジャマイカ?そう勝手にわたしは思ってる。
そういう いきもの の中に流れてるなにか。そういうものがきちんとしてるのかどうなのか。その違いをどうやって見分けるのか。ありきたりな言葉だけどそれは
「 感覚 」
これがとっても大事だと思います。知識でなく感覚。理屈でなく感覚。理論でもなく感覚。なんかえらそーだけど。
感じる事。それが今のところそういうなにかを捉える一番大事なものだと思います。ていうかそれ以外できないし。知らないし。
その感覚ってのが「気」やそれ以外のなにかの違いを判別してるのかなと。逆に何かの力って感じる以外に捉える方法ってあるのかな?とさえ思う。
例えばわたしは体重が55kgです。55kgっていわれてそれは軽い!と感じるのか重い!と感じるのか。ゴジュウゴ キログラム っていうのはただの分類であってその「重さ」という力を感じることは実際味わうことでしかわからない。
名称はあくまでも分類で、そのまえに感覚としてのなにかがあるんだよねきっと。
毎日の仕事への意欲!?
こんばんわ。karada89 です。
さてさて、私の中の
「st sm 論争」
は、ひとまず落ち着かない、という形で落ち着きました。
そんでは、次に何を試行錯誤しようかな。いろいろありすぎて困る。
とりあえず今思っていることをつらつらと・・・
そもそも FT をやりたい!と感じたのは、職場の先輩がそれを勉強していたからです。そこで知りました。
患部が st で、それを sm にすれば治癒、なんて非常にわかりやすい。これはいいと喜びました。
それまでの治療は痛い個所が術前にくらべてやわらかくなっているかとか、動かして痛いところが痛くなくなったか痛みが減少したかくらいしか指標がなかったんですね。みんなそうだと思いますけど。
お医者さんみたいに血液検査ができるわけでもないしレントゲンやMRIがあるわけでもない。そのなかでどうやって診断して治せるんだろうって考える前に絶望感をもってましたね。この職業を選んだこと自体後悔してました。あ、それは今も良く感じるわ(*´Д`)
診断・治療ができなくて、それにより治せないことがお客さんに申し訳ない、とかそんなことは思ってませんでした。そんな素敵な感想ではなかった。
FT を知る前はこの仕事自体がただの苦行でしかなかった。
もうひたすら 仕事つまんねー(*´▽`*)
そして目の前のお客さんに対してひたすら 恐怖!!!
そんな毎日でしたね。
でもわたし馬鹿なので「これをみんな我慢してやってるんだ。弱音はいたら負けなんだ・・・」って弱音はいてました。あとよく発熱してましたね。今でもあのときこの道をとっととやめときゃよかったて思ってるもん(笑)もう相当ストレスでした。いや、ストレスです。
この仕事を辞めちゃえばよかっただけなのに、どうにかこの不安から脱しなきゃって発想でうごいていたんだなあ。不安感が原動力。穴空いたからね、十二指腸に。
まあそんななかの FT との出会い。地獄のなかに降りてきた一本のクモの糸。速攻掴みましたね。
あーーー。やっちゃったな俺。
不安で弱ってる時に掴むものって大抵次の不安に繋がるよね(笑)ん?ということはあの時仕事辞めても辞めなくても不安に変わりはないってことか?まあそんなメンタルな話はいいや。
とにかく掴みましたよ。掴んでしばらくして講習会に参加し始めました。FT塾。
これでこの道で食っていける!しかも同業と差別化できる!!!しめしめグフフ・・・これで儲けられる!不安からの脱出だ!v( ̄Д ̄)v イエイ
もうあれですね、この道を選んだ動機はなんなんだおまえ!って感じですよね。先生じゃないね。人に聞かせられないわ。
まず 講習会に行くにあたって、東洋医学原論と漢方治療原論の二冊を買って読みました。なにこの本超たけーーー(;´・ω・)
基本的な診断・治療手順を覚えましてた。手掌診やって 脈診やって 腹診やって センサーの形覚えて 磁石使って イオンパンピングコード使って st sm st sm st sm st sm st
sm・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
なにこれわかんね!!!(゚Д゚;)!!!
え?俺だけ?もしかして俺だけ?みんなわかってんの?うそでしょ?またまたあ・・・教科書通りになってんの?まじで?本気で言ってる?
どこが一本のクモの糸じゃい!!!!
新たな不安と混乱のはじまりはじまりい~。
いやあ。st と sm は感覚的にわかるようになったんですよね、多分。けどね、診断から治療の進行が全然教科書通りにいかない。そうならないことばっかり。手掌診からして違うから!(わたしの場合だけかも、だけど)
と思いきや教科書通りにやって家族のインフルエンザとか30分で治っちゃうときなんかもあるんですよ。なんじゃこりゃ。
あとこまったのは、この教科書通りにやって治ればそれだけで相当の施術時間短縮なんだけども、それでもわたしの業務上だと時間が足りない。磁石置いて診断する暇もないし、鍼して IPコード つなぐのも面倒くさい。そもそも診断できてないし!
そこから FT を使って治療されている 吉本英夫 先生 の論文を読んだりしていろいろ自分なりに補おうとしてみてはみたものの、やっぱり教科書通りに治らない。そしてたまーに治る。
悩みましたね。何に悩んでるかわからないことに悩みました。まず何が間違っているのかさえも良く分からなかった。FT の感度を上げるためにいろいろ訓練法をしてみたり、FT 使用時にいろんな音や文字や絵をイメージしまくったり。
それでも診断ができないと治療にならない!って思いからいろいろ試しました。
診断できないと患者さんになにが原因か伝えられないじゃないですか。
診断した結果治らないと、診断が間違ってるから患者さんへの説明に重みが出ないじゃないですか。
「また来て様子みせてくださいね~」
ってお客さんに言うのが恐怖。本当に 恐怖(゚Д゚;)
でもほかにやりたいなって思える治療法がなかったんですよね。
だからこれに必死にしがみつきました。俺を救ってくれよお!!!!この不安から助けてえ~って感じです。
そのままの思いで今日まで来てます。なんか被害者ぶってるみたいな文章ですね(笑)
でも、治療を辞めずにいままで来たのはやっぱり FT のお陰の部分は大きいです。毎日の仕事がただの仕事じゃなくて、研究所みたいになってました。研究と技術の試験場としての職場は考えてみれば幸せなことなのかもしれません。
こうしてブログに成果を書こうと思えることを持てているわけだしね。
なるべく成果が出たら記事にしていこうと思ってますので、なにか感じることがあれば見ていってくださいね(#^^#)