身体(karada) hack

「治してやる!」 から 「なんか治っちゃう」へ

そして仮説へ その2

こんばんわ。karada89です。

 

st(スティッキー)・・・右手のセンサーを異常部位にかざしたとき左手のテスター滑りが悪くなる。

sm(スムース)  ・・・右手のセンサーを異常がない部位にかざしたときは左手のテスターの滑りは悪くならない。もしくは滑りがよくなる。

 

 《 FT を使用した治療で、診断部や患部の st を sm にする。そうすることで主訴や不定愁訴がとれる。また、改善できる。

 しかし この治療の前提である 「異常な個所に st 」 を検出できないことがある。それはなにかが回復力の発動を弱めていたり邪魔していたり混乱させている可能性があって、治る力と悪くする力の喧嘩が起きていない。

 なので患者さんの主訴部にきちんと st が検出できるように下ごしらえをする。つまり回復力を発動させる、強める、つまり喧嘩をするエネルギーを持たせることが必要なのでは。

 そしてそれを治療者側の技術でなんとかしたい。》

 

 前回までをまとめるとこんな感じでしょうか。

 

 回復力を増幅させるというヒントは実は色々あります。

 

 ・東洋医学では 腎の気(先天の気・骨気・精気)、胃の気(後天の気・水穀の精微・)など

 ・冷え取り医学では内臓に溜まっている冷えと毒が症状の原因で症状は毒出しの結果。

 ・カイロプラクティックでは脊柱のサブラクセイション

 ・オステオパシーでは脳脊髄液の循環や頭蓋骨・脊柱・仙骨などの揺らぎや一時呼吸

 ・神道などでは気のエネルギー以外に「霊」のエネルギー、さらに強いエネルギーで

  「神」があります。気が家庭用電気なら神は高圧電線などの強力なエネルギーレベル。

 ・神社や遺跡などパワースポットといわれるところ。

 

 あくまでもヒントであってこれを FT でどうにかするとなると、いろいろ問題がある。そもそも FT が捉えているものってなにかわかりません。前にも書きましたが、気なのか、電磁波なのか、波動なのか・・・。ただ何かを捉えているとしかいえません。なのでいろいろなものを捉えるという前提で勝手に話をすすめます。というかそうするしかない。

 

 東洋医学的なヒントで考えた時、腎と胃の強化というのがわかり易かったですね。腎の気と胃の気が混ざったものが人体を栄養する元の気になるからです。腎は冷えにすごく弱くお灸が必要な人があふれかえってます。冷えがない人はないという冷えとりの理論とも併用できそう。最初は腎や胃に関連する所にお灸をしたりしました。その際に患部になかった st が出現したりしました。ただ出現しない時もありました。またお灸のポイントもでたりでなかったりで。

 「冷えの反応がいつもここにでてる」

 「患部に st がないときは必ずこのポイントに刺激する。」

というものを期待したので、今のところ、腎と胃の気から回復力を増強させる、という試みは満足していません。臨床では使える形になってません。

 

 パワースポットに患者さんを行かせるというのも、悪くはないですけど患者さん任せですし、なにより効果が未知数すぎますし、もはや患者さんに治療と捉えていただけないので却下。

 

 それでは脊柱や脳脊髄液、または神道?などのヒントから考察していくべきか…

 

 もちろんそこにもヒントはあると思ってます。ただ、そうなってくると、自分の中では東洋医学的な考えだけでは収まらなくなってしまいます。いや、むしろそうなってくるのが自然なのかも。

 私の知人は本当に背骨の調整だけであらゆる疾患を治してます。逆に鍼だけで病気を治す人もいますし。もう色々です。

 

 とにかく本来の回復力を呼び覚ますには何がいいのか。それも手間があまりかからないやり方で。そういうものを実現するには何をヒントにするべきか。

 そう考えた時に、東洋医学に固執する事はないんじゃないのかと感じ始めました。

 東洋医学ってバランスの医学なんですよね。シーソーの傾きを治すみたいな感じ。右が上がったら、右を下げて左を上げる。左が上がったら、左を下げて右を上げる。そうやってバランスを治療によってとってあげると症状が治っていく。

 でもですね。もっと考えると、バランスをとるって本当は身体が勝手にとってるはずなんですね。バランスが崩れたのを自分で元に戻すのも回復力によるんじゃないかと。回復力さえあれば傾いたシーソーは勝手に水平になるんじゃないかと。

 だから回復力の大元を治療できる理論があるとしたら、それは東洋医学の理論ではないのではないかと。

 

 そう考えが変わりはじめました。

 

 

 続く……

st(スティッキー) とは何なのか その5。そして仮説へ その1

こんばんは。karada89です。

 

st(スティッキー)・・・右手のセンサーを異常部位にかざしたとき左手のテスター滑りが悪くなる。

sm(スムース)  ・・・右手のセンサーを異常がない部位にかざしたときは左手のテスターの滑りは悪くならない。もしくは滑りがよくなる。

 

 

 同じお題にもう大分飽きてきたところだとおもいます。

 

 なんでこんなにしつこく書くのかというと、 FT を使用する以上、臨床では stや sm という反応が治療の完成度の大事な判断基準の一つであり、施術をするにあたって生命線といってもいい程だからです。 

 

  

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 たとえばお掃除をするにしても、判断基準というのは綺麗になったか、汚いままなのかということですよね。床に鼻をかんだティッシュが一つ落ちていたら、それを拾ってゴミ箱に捨てれば床のティッシュはなくなりますね。

 基本的にはティッシュがそこにあって汚いなあと感じていれば st で、かたづけてなくなれば sm ということです。

 

 ただここで問題があります。

 

 ティッシュが落ちていても汚いと感じなければ、それは st ではないんです。

 もしくは片づける気がなくても st ではないんですね。

 

 少し極端な言い方に聞こえますが、そういうことなんです。

 

 例えば・・・

 今日は会社で嫌なことがあって、帰って掃除する気が起きないやー。昨夜の洗い物もしてないし…。もう今晩は色々サボちゃっお。

 そんな身体の状態のときは FT をすると st を感じにくい時があります。

 逆に

 今晩は彼女がうちに来るぞー!あ、やべー!こんな部屋じゃ嫌われちゃう!いつもより念入りに掃除しておかなくちゃ…

 てな状態のときは綺麗にするやる気が起きてるので st が割りかし強くでます。

 

 なんとなく分かりますか?

 

 身体が病的なのに身体自身が何らかの理由で十分な回復力を発動しない、もしくはできない事があります。身体の中が汚くて掃除をしなくてはいけないのに身体がやらない時、やれない時、やる気がない時があります。

 そんな状態の時に痛いところや辛いところを FT で調べても、本当は st が感じとれる筈なのになんで sm なんだ?ということがよくあります。ありすぎます(私だけかもしれませんが)。

 

 どうにかその回復力が発動してない身体に回復力を発動させたい。掃除をする気がない身体に掃除をする気を起こさせたい。その方法はないものか。

 ・どのようなことをすれば回復力を発動させることができるのか。

 ・つまり、どのようなことをすれば患部に喧嘩を起こさせることができるのか。

 ・どのようなことをすれば患部に st な反応を起こすことができるのか。

 ・それを施術者の技術でできないものだろうか。

 

 

 そのようなチャレンジをしていきます。

 

 続く・・・

 

st (スティッキー)とは何なのか その4

  こんばんわ。karada89です。

  

st(スティッキー)・・・右手のセンサーを異常部位にかざしたとき左手のテスター滑りが悪くなる。

sm(スムース)  ・・・右手のセンサーを異常がない部位にかざしたときは左手のテスターの滑りは悪くならない。もしくは滑りがよくなる。

 

 お話は続きます。

 

 前回は、

 

 回復力が強くなれば体から出てくる反応がシャープになり、FT でより体の情報を検出しやすくなるのではないか。

 回復力を高めるというのは実のところ若返らせるということなんじゃないか。

 

 ということを書きました。

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 大それた事をしてるなあ、こんなことを書くなんて・・・

 

 

 まあ気にせずいきます。

 

 

 

 以前チラッと話題にだした「冷えとり健康法」

 

 

http://www.rigakukikou.com/hietori.htm

 

 

 治る力を強める健康法です。

 

 理論自体に無理がなく、実践においてもあまり人を選ばない(選ぶかも)。そして継続にコストがそこまでかからない。

 

 個人的には一番優れてると思うのは自己責任というところだと思ってます。

 

 

 この理論をまんま FT と組み合わせられればいいのですけどね。

 

 

 

 話は変わりますが東洋医学だとですね、どうやら人は本来生命を全うすれば、寿命は125歳だそうです、確か・・・。

 

 ただ、人は生活上で生命力を浪費するので125歳から悪いことをした分差し引きされるそうです。

 

 きちんと自然の摂理を理解し、欲を抑え、生活を慎めば125歳の寿命に近づくらしいです。

 

 本来の寿命に近づくためのやり方がこの冷え取り健康法に書いてあると私は思っています。

 

  本当は回復力(生命力でも自然治癒力でも呼称はなんでもいいです)というのは、みんな一様に優劣なくあるのです。その回復力を無駄遣いしてるんですね。無駄な部分で回復力がつかわれているから、いざ肝心な時に必要十分な回復力が現場に向かわないのです。

  

 

 

 本来ならば医者とか治療家とかこの世に必要ないはずなんです。元々体に修復機能が付いてるんですから。

 じゃあなぜ必要なのかというと簡単な事で、その患者さんの回復力なり修復機能が追いつかなくなってるからなんだと思います。

 後はそもそも医者に行く必要がないけど、今の症状をとりあえず取り除きたくてかかるんだと思います。

 

 医者の本来の役割は冷え取り健康法にも記載されているとおり(進藤先生の講演録に記載されているだけかも)身体が自分の力で病気や症状を克服できるように導いてやることなんですよね。そのために目前の症状を少し和らげてあげて普段の生活上の改善方法を提示する。あくまで理想ですけどね。

  

 現在は症状を止める治療法はかなり発達したと思いますが、やはり自分で治る身体にする治療法というのは数少ない気がします。

 

 それを歴史上実現してたんじゃないかと個人的に思っているのが今のところ、古代の医学であったり、現代では上記の冷えとり健康法なんじゃないかと。

 

 続く・・・

st (スティッキー) とは何なのか その3

こんばんわ。karada89です。

 

st(スティッキー)・・・右手のセンサーを異常部位にかざしたとき左手のテスター滑りが悪くなる。

sm(スムース)  ・・・右手のセンサーを異常がない部位にかざしたときは左手のテスターの滑りは悪くならない。もしくは滑りがよくなる。

 
前回からの続きです!………
 
         ……………ちょっと疲れた。
 
 

 

 

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  もう少し回復力っていうものを根っこからとらえる、ように考えてみたいと思います。

 

 生き物って生きている以上、回復力って絶対ありますよね。ただ、強い弱いは個体によって違うと思いますし、年齢でも違うとおもいます。

 

 極端ですが回復力ってお年寄りと成長期の子供だったらどちらが旺盛か。

 

 聞くまでもありませんよね。

 

 日々の治療で治りやすいのは高齢者よりは若い人のほうが治りやすいです。想像に難くないですね。

 

 治る力が強いんでしょうね、特に子供なんかは。ただ免疫などの獲得が少ないので一見弱そうには見えます。

 しかし子供の疾病って、ものにもよりますが、わっ!と症状が出て、ギャーっ大変だあ!ってなったかと思うと、スカッ!と治ったりしませんか?

 

 治る力が強いから悪くする力と激しいぶつかり合いの喧嘩が起きますが、あっという間にやっつけちゃうイメージ。短い時間で激しい喧嘩が起きる。それだけに症状も激しく出るので周りの大人は心配しちゃいます。

 

 お年寄りなんかはインフルエンザなどに罹ろうものなら、いつまでも何かしらの症状を引きづることが多いです。症状は激しく出ないけども(でることももちろんあります)後を引く。

 

 

 若い人の方がエネルギーがあるわけです。エネルギーがあるといろいろなことに反応します。治療の話だけでなく、たとえば好奇心だってエネルギーが多い人が持ちやすいと思うんですよ。逆に疲れてるといろんな興味が失せますよね?

 

 喧嘩だって若い人の喧嘩の方が激しいわけですし。これも疲れてたら喧嘩そのものを回避したくなりますよ。

 

 ここで言いたいのは、子供とかお年寄りとか年齢のことではなく、エネルギーやパワーのことです。すなわち治る力が旺盛なのか衰弱してるのか。

 

 その強弱によって体の中での喧嘩の様相も変わってくるのではないのか。つまり治る力が強ければ強いほど体の中の反応がよりハッキリと検出できるんじゃなのか。逆に治る力が弱ければ弱いほど体から出る反応はぼやけてしまうのではないか。

 

     体を悪くする力に対して、治る力が力強く素早く退治しにくる。

 

そんなパワー溢れる体にすることが可能なのか。若返ることができるわけはないし。

 

 しかし、ある意味やろうとしてることは若返りなんじゃないのかとも思うし、それを目指すことで患者さんの身体が治る力が増すのではないかと考えます。

 

 結果、FT での検出もしやすくなる、はずである。

 

 

 ・・・まだ続く

 

     

st (スティッキー) とは何なのか その2

 こんばんわ。karada89です。

 

st(スティッキー)・・・右手のセンサーを異常部位にかざしたとき左手のテスター滑りが悪くなる。

sm(スムース)  ・・・右手のセンサーを異常がない部位にかざしたときは左手のテスターの滑りは悪くならない。もしくは滑りがよくなる。

 

 

 身体が治ろうと喧嘩をしてる場所を FT にて調べると、st の反応を得ることができる。以前そんなエントリーを書きました。

 

 センサーで情報を取得し、テスターに異常として感じられるわけです。

 

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 その st を効率よく消去して症状を消してあげるのが、現在(今のところ)わたしが行っている

             

            入江式FT を使用した 東洋医学的治療

 

になります。

 

 

 この st を sm にする。というのがすごく自分にとってわかりやすく、魅力的に思えました。

 腰が痛いなら腰の st を消せば治る。

 胃が痛いなら胃の反応点の st を消せば胃痛が治る。

 風邪をひいてるなら風邪の st を消せば治る。(ここでいう治るは症状をなくすということ)

 

 患者さんに「痛みはどうですか?」と言葉で確認する前に、治っているかどうかを予測できます。患部を sm にしてから自信をもって痛みの確認をできる!はずだった・・・

 

 

 

 だがしかし!駄菓子菓子!

 

 

 このstというのが感じ取ることができないのに症状がある。患部にstを検出できないのに、症状を聞くと痛いという人がかなり多い。患者さんは右ひざの内側が痛いという訴えなのに、その患部にFTをしても反応が出ません。これには不安を覚えました。

 

 もしかしたら自分の技術不足が原因なのかもと当然考えるわけです。はたまた技術ではなくわたしの体調不良によるものかなとも思いが馳せます。

 

 いろいろ治療しましたが、かなりの数で痛いところに st を検出できない!

自分には治せないのか?この技術の習得は私には無理なのか?という不安との闘いでした。

 

 stをsmにするのが治療であり正解であり指標なのだから、そもそも患者さんの訴えのとおり患部に st がないと困るんですよ。 患部を FT して sm なのに痛みがあるんじゃ話が違うんですよ!

 

 そもそもの大前提を覆された気分れす。心が折れそうでした。いや、折れてた。

 

 

 st とはなんなのか! 本当にそんな気持ちでした。

 

 

 

 もう少し根本にかえって考えるべきか・・・

 

 

 続く・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

FTと東洋医学 その3

こんばんわ。karada89です。

 
 
 前回は、陰陽論のお話でした。
 
 虚と実、補と寫 などなど
 

 

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 陰陽論の続きをなんとか説明していきます。

 

 天気予報で前線が配置されているのを見ます。詳しくはわかりませんが、温かい空気と冷たい空気が重なると前線が出来上がるっぽいですね。そしてその温度「差」があるほど前線での天気は悪化したりします。

 

 あるフィールドにそういう「差」ができると、その差からできるエネルギーを放出するためにいろんな現象がおきます。

 

 いつかのエントリーで st とは 喧嘩である。

みたいなことを書きました。

 

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 人間の場合、その喧嘩もお互いの考え方や思いの「差」があってみたりして喧嘩になるわけで。
それをぶつけあうから喧嘩になってエネルギーを放出する。
 
 仮に体の中にそういう差ができると、悪くする力と治す力がぶつかり合った時に疾病が発生するわけです。
 
 西洋医学だとこのぶつかり合いの結果(症状)に対して薬物などでふたをしてしまったり、力づくで喧嘩をやめさせてしまうのです。(今の段階では治療哲学の是非は取り上げません)
 
 まあお互いに力づくで喧嘩をやめさせられたら不服が残りますね。
 
 東洋医学は喧嘩が起きる前に、または起きてる時に、喧嘩そのものに対してアプローチせず、もともと双方の差があるのが問題だとして、その差を中和してしまいます。
 そうすると喧嘩にならないし、喧嘩が起きても差を少なくしておけば喧嘩のエネルギーの放出を少なくすることができます。結果、疾病や痛みが起きにくくなります。または弱い症状で済みます。
 
 ただまったく差がなくなることはありませんし、差がなくなったらそれはそれで生命ではありません。しかし差がありすぎてもいけないのです。適度な差を作り、そうなると循環が起きるようになってます。循環しているというのが機能的に生きていることなので。
 
 東洋医学の治療はその差を中和して少なくするといってもいいのかもしれません。
 
 上と下の差、右と左の差、表と裏の差、光と影の差。
 
 なんでも格差があると問題が発生するので、暴動や疾病が起きる前に、または大きくなる前に対策しなくてはなりません。
 
 どこに差が生まれているのか、どこに喧嘩があるのか。
 
 それらをFTなら効率よく見つけられますよ、ということです。

FTと東洋医学 その2

こんばんわ。karada89です。

 
 
 
 前回はわたしの物事の捉え方と東洋医学の考え方なんかを話しました。
 
 
 今回はもう少し臨床寄りで説明できたらとおもいます。上手く説明する自信、ありません・・・。
 
 
 
 
 少し専門的な話から入りますね。
 
 東洋医学というのは、ズバリ 「気」 の医学です。
 
 病人を診断・治療する際に、その病人の身体のどこの「気」が、どの様に異常を起こしてるか、それを調べます。
 (これ、西洋医学でも診てる対象は違いますが、どこの組織に何が起きてるか、という意味でさほど変わりません)
 
 その場所(内臓 経絡など)を検索し、
 
 気の異常の質(停滞 不足 過剰など)を判断し、
 
 それらを解消する治療ポイント(ツボ)や薬(漢方薬など)を選別する。
 
 
 身体から発している症状というのは、気の異常の「結果」です。「原因」ではありません。
 
 
 
 例えば、右膝のお皿(膝蓋骨)が痛い患者さんがいて、それとは別にお腹が痛い患者さんがいたとします。
 
 症状だけ診ると全く別物の疾患です。膝だったら骨なのか筋肉なのか神経なのか関節なのか。おなかであれば、胃なのか腹膜なのか皮膚なのかほかの内臓なのか、などなど。
 
 しかし東洋医学的に気を診ると、症状は違うのに大元の原因は同じという場合が多々あります。
 
 かなりザックリですけど、この二人の患者さんだと、胃(胃経)が悪いという共通の原因があるかも。
 
 
 
 
 
  ところで物事の捉え方です。東洋医学での捉え方。哲学とでもいうべきか。
 
 
 上と下 とか 表と裏 とか。
 
 
 こういうのをひっくるめて一言で言っていいかわかりませんが、無理やりひっくるめると
 
 
       陰陽論
 
といいます。聞いたことありますか?イメージだと

               

 

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                ↑ こんなやつです。
 
 東洋医学臨床でもその哲学が適用されてます。
 
 これはすごく重要で、臨床で適用する場合は下記の言葉で捉えます。
 
 
     虚 と 実 (きょ と じつ) 
 
そして
 
     補 と 瀉 ( と しゃ)
 
です。
 
  虚と実、補と寫はともに性質は反対なのですが互いに共存してます。
 
 
 先の膝の痛みの人とお腹が痛い人。患部をFTを使って診断した結果、その状態を反応によって大雑把に2つに分けることが可能です。
 
 それが 虚 と 実 です。
 
 
 例えば、いまFTで右膝の気の状態を調べたとして、その結果が
 
 
 虚 の状態 または 実 の状態か
 
 
 を判別します。
 
 
 
 先の膝とお腹の例で言えば胃が原因かもと書きました。
 
 その際は、まず胃を診断して、大まかには胃が 虚 なのか 実 なのかを診ます。
 
 次に愁訴部(患部)は 虚 なのか 実 なのかを調べます。
 
 
 
 
 なぜ 虚 と 実 を調べるのかというと、それは治療の選択をしなければならないからです。
 
 東洋医学鍼灸であろうが漢方薬であろうが、最終的には 
 
 補 の処置か
 
   の処置か
 
 というものを見極めます。   
 
 
  つまり、結論から言うと
 
 虚 の状態には 補 の刺激
 
 実 の状態には 瀉 の刺激
 
  ということです。
 
 
足りないとこ(虚)には補って(補)
 
余ってるとこ(実)から抜き出す() 
 
という治療を施します。
 
 上記のように、ここまで診断から治療をシンプルに書いていいのかわかりません。
 
 ですがつまるところこういうことなのです。