毎日の仕事への意欲!?
こんばんわ。karada89 です。
さてさて、私の中の
「st sm 論争」
は、ひとまず落ち着かない、という形で落ち着きました。
そんでは、次に何を試行錯誤しようかな。いろいろありすぎて困る。
とりあえず今思っていることをつらつらと・・・
そもそも FT をやりたい!と感じたのは、職場の先輩がそれを勉強していたからです。そこで知りました。
患部が st で、それを sm にすれば治癒、なんて非常にわかりやすい。これはいいと喜びました。
それまでの治療は痛い個所が術前にくらべてやわらかくなっているかとか、動かして痛いところが痛くなくなったか痛みが減少したかくらいしか指標がなかったんですね。みんなそうだと思いますけど。
お医者さんみたいに血液検査ができるわけでもないしレントゲンやMRIがあるわけでもない。そのなかでどうやって診断して治せるんだろうって考える前に絶望感をもってましたね。この職業を選んだこと自体後悔してました。あ、それは今も良く感じるわ(*´Д`)
診断・治療ができなくて、それにより治せないことがお客さんに申し訳ない、とかそんなことは思ってませんでした。そんな素敵な感想ではなかった。
FT を知る前はこの仕事自体がただの苦行でしかなかった。
もうひたすら 仕事つまんねー(*´▽`*)
そして目の前のお客さんに対してひたすら 恐怖!!!
そんな毎日でしたね。
でもわたし馬鹿なので「これをみんな我慢してやってるんだ。弱音はいたら負けなんだ・・・」って弱音はいてました。あとよく発熱してましたね。今でもあのときこの道をとっととやめときゃよかったて思ってるもん(笑)もう相当ストレスでした。いや、ストレスです。
この仕事を辞めちゃえばよかっただけなのに、どうにかこの不安から脱しなきゃって発想でうごいていたんだなあ。不安感が原動力。穴空いたからね、十二指腸に。
まあそんななかの FT との出会い。地獄のなかに降りてきた一本のクモの糸。速攻掴みましたね。
あーーー。やっちゃったな俺。
不安で弱ってる時に掴むものって大抵次の不安に繋がるよね(笑)ん?ということはあの時仕事辞めても辞めなくても不安に変わりはないってことか?まあそんなメンタルな話はいいや。
とにかく掴みましたよ。掴んでしばらくして講習会に参加し始めました。FT塾。
これでこの道で食っていける!しかも同業と差別化できる!!!しめしめグフフ・・・これで儲けられる!不安からの脱出だ!v( ̄Д ̄)v イエイ
もうあれですね、この道を選んだ動機はなんなんだおまえ!って感じですよね。先生じゃないね。人に聞かせられないわ。
まず 講習会に行くにあたって、東洋医学原論と漢方治療原論の二冊を買って読みました。なにこの本超たけーーー(;´・ω・)
基本的な診断・治療手順を覚えましてた。手掌診やって 脈診やって 腹診やって センサーの形覚えて 磁石使って イオンパンピングコード使って st sm st sm st sm st sm st
sm・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
なにこれわかんね!!!(゚Д゚;)!!!
え?俺だけ?もしかして俺だけ?みんなわかってんの?うそでしょ?またまたあ・・・教科書通りになってんの?まじで?本気で言ってる?
どこが一本のクモの糸じゃい!!!!
新たな不安と混乱のはじまりはじまりい~。
いやあ。st と sm は感覚的にわかるようになったんですよね、多分。けどね、診断から治療の進行が全然教科書通りにいかない。そうならないことばっかり。手掌診からして違うから!(わたしの場合だけかも、だけど)
と思いきや教科書通りにやって家族のインフルエンザとか30分で治っちゃうときなんかもあるんですよ。なんじゃこりゃ。
あとこまったのは、この教科書通りにやって治ればそれだけで相当の施術時間短縮なんだけども、それでもわたしの業務上だと時間が足りない。磁石置いて診断する暇もないし、鍼して IPコード つなぐのも面倒くさい。そもそも診断できてないし!
そこから FT を使って治療されている 吉本英夫 先生 の論文を読んだりしていろいろ自分なりに補おうとしてみてはみたものの、やっぱり教科書通りに治らない。そしてたまーに治る。
悩みましたね。何に悩んでるかわからないことに悩みました。まず何が間違っているのかさえも良く分からなかった。FT の感度を上げるためにいろいろ訓練法をしてみたり、FT 使用時にいろんな音や文字や絵をイメージしまくったり。
それでも診断ができないと治療にならない!って思いからいろいろ試しました。
診断できないと患者さんになにが原因か伝えられないじゃないですか。
診断した結果治らないと、診断が間違ってるから患者さんへの説明に重みが出ないじゃないですか。
「また来て様子みせてくださいね~」
ってお客さんに言うのが恐怖。本当に 恐怖(゚Д゚;)
でもほかにやりたいなって思える治療法がなかったんですよね。
だからこれに必死にしがみつきました。俺を救ってくれよお!!!!この不安から助けてえ~って感じです。
そのままの思いで今日まで来てます。なんか被害者ぶってるみたいな文章ですね(笑)
でも、治療を辞めずにいままで来たのはやっぱり FT のお陰の部分は大きいです。毎日の仕事がただの仕事じゃなくて、研究所みたいになってました。研究と技術の試験場としての職場は考えてみれば幸せなことなのかもしれません。
こうしてブログに成果を書こうと思えることを持てているわけだしね。
なるべく成果が出たら記事にしていこうと思ってますので、なにか感じることがあれば見ていってくださいね(#^^#)
st とは何なのか? その6 中間報告
こんばんわ。karada89 です。
ひさしぶりに考えをまとめてみようと思います。まとまってるんじゃなくて、今書きながらまとまるといいなあって感じです(^▽^;)
そんで話はこいつですよ。前とおんなじですけども
「 st と sm 」
これでしばらく悩んでました~。悩んでましたというよりまだ悩んでます。
st(スティッキー)・・・右手のセンサーを異常部位にかざしたとき左手のテスター滑りが悪くなる。
sm(スムース) ・・・右手のセンサーを異常がない部位にかざしたときは左手のテスターの滑りは悪くならない。もしくは滑りがよくなる。
st が異常
sm が正常 でいいのか
はたまた
st は喧嘩
sm は平和 という持論はどうなのか
これですね。いっつもこれがわからない。いまだに定義づけはできてない。
どっちも正しいとは思ってます。でもどっちも完全ではない。でもこの
st と sm
が判断基準だからここに信頼をおけるなにかが欲しい・・・
いまこの st(sm) は何を表現しているの!?
ってところです。そんなふうに悩んでます。振り回されてます。きっと単純に st が sm になって治ってる先生もいるんだろうな。自分のやってることはこれでいいのか?ま、いっか。
この間、左足関節の捻挫(実は靱帯より腱を痛めていた)をしたお客さんがきまして、患部を FT したんですね。
そしたら患部は sm でした。
で、
個人的に治癒力を正常化する(と思ってる)処置をした後に、患部を再び FT をしました。
そしたら患部が
めっちゃ st になりました
これをどう考えるのか( ゚Д゚)
ならった通りであれば、私がした処置をやる前から患部は st で、左手掌の手根部も st 。
のはず。
しかし初見時は患部も左手掌も sm 。
治癒力を向上させてた後は手掌も患部も st 。
入江式だと、患部も手掌も腹診も関連付けて、相関する st が出現すれば、その反応を消すような処置をマニュアルに従って sm にしていけばいい、ということになってます。
しかしその相関する st が出現してない。こまった。手のうちようがない。
それで悩んでいろいろと考察した結果の持論の過去記事からすれば、患部に st がでないってのは喧嘩が起きてないんでしょ?つまり治ろうとしてない。もしくはその力が弱いってこと。
どうにか入江式で習った反応を出現させたい。それで治療をマニュアルどおりに進めたい。どうすれば?ということに対して、治癒力・回復力・治ろうとする力を向上させる治療を模索してます。
治癒力が上がる
↓
患部に治癒力が届く
↓
患部に喧嘩が起こる
↓
結果、FT で st を感じる
というのをわたしは勝手に言ってきたわけです。
戦う力を身体に発揮させる という下ごしらえを施して患部に st を出現させる、ということをしたいんです。
話はもどって・・・
その足関節に st が出た状態で、湿布・固定を施して、胃経に皮内を貼付して様子を見てもらうことにしました。
3日後に来院した際に痛みを聞くと 「だいぶ良くなった」 といってくれました。
この良くなった状態って、教え通りだと患部は sm になっていなければいけませんよね。
st だったところが sm になる。とってもシンプルそこが好き❤
しかーし!
実際このお客さん痛みがないのに患部は st のままです。どーなのこれ。
sm って治ってんじゃないの?
st って治ってないんじゃないの?
そーゆーことじゃないんだね。
考えてみれば、主訴部でないところにも st が現れるっていうのはよくあることなので不思議ではないんですよね。
どこまでいっても考察が終わらないので・・・
終わらないから・・・・・・・・・・・・・・
ここで 中間報告 ってことで!
そういうことにしていったん st と sm の話は区切ります!
これ、もしかしたら後で追記や補足の可能性は十分にあります。ご了承くださいませませ。
st というのは
自覚症状があっても、自覚症状がなくても、治癒力が機能してるときは患部や患部にかかわる場所に出現するもの。
身体自身が治したいところに治癒力を振り向けている最中は、その時の身体の都合によって修復中の箇所やそれに関連する場所に st を感知することができる。
身体の都合っていうのは、身体自身が治したい優先順位があって、その優先順位を身体が自分勝手に決めていること。それは身体にしかわからない事。
いまのところこんな感じです。
FT やっている方々はこんなところでつまづかないのかなあ。もっと別の悩み?
そして仮説へ その4
こんばんわ。karada89です。
治療者が最小限の手数と最小限の疲労で患者さんの回復力を可能な限り高める。それによって患者さんの身体が、施術前より病気と喧嘩する力を強化し、医者いらずの身体になるよう導く。
上記のことを現在、入江式フィンガーテストを使って実現しようとしている。
そのためには講習会で習った理論のみでは満足できる結果が得られないため、独自の経験を元に理論の構築を進めています。
1・まず st とは何かを定義する。
2・その定義を基本に診断と治療の改良と見直し。
3・見直し後の治療による結果の検証とフィードバック。
4・診断方法と治療の再設定。そしてそれが時間短縮に向かうような方向性を持たせる。
5・2〜4を繰り返し治療効果が上がらなかったり低下するようなら時間短縮の方向性を一旦諦め、視点を変える。
今のところ上記の 1 の定義は自分の中で正しいと考えています。以前に書いた記事でも考察してます。回復力を上げることで病気と喧嘩するエネルギーを高める、ということ。
ただFT講習会で習ったやり方は回復力を上げるということを目的とした治療はないと思います。あくまでも今ある回復力を利用して症状を取る。つまり患者さんの回復力に治療結果が左右されるということ。
(しかし西洋医学のように、症状をとることと引き換えに副作用というダメージを残す事がかなり少ないため、症状を取ることでその症状に対して割り振っていた回復力を別の部分に振り向けることができるようになる、という意味ではかなり西洋医学より優れている。)
もちろんそれは当然なのですけど、回復力を上げることで治らなかったものが治るようになる。または治るのに時間がかかったものがかからなくなる、ということを目指すときに、やはり回復力というものを高めたほうが良いと思うんです。
今までのやり方では治らなかったものが治った。今まで1年かかって治ったものが一週間で治った。そういう可能性を上げるにはそもそもの治る力というものをどうやってより強力にしていくのかということを考えて実行していかなくてはならないと思うんです。
FT講習会で習った当初は「これが根本の原因を治せる方法だ!」と興奮したものです。しかし治療を続けていくうちに、西洋医学よりは症状の原因を捉えているけど、もっともっと根本の原因が存在するとではないかと悩むようになりました。つまり入江式経別脈診で得られる情報も、ある意味結果でしかない訳です。
漠然とした感覚での言い方ですけど、東洋医学は根本は内臓の気のバランスと流れを整える事で症状をとる、と捉えています。(臓腑経絡学説)
しかし思ったのです。その流れとバランスさえも身体は勝手に治す力があるんじゃないかと。もっと簡単に治せる、東洋医学を上回ったやり方があるんじゃないかと。
これを思った時はちょっと心が折れそうになりましたね。まだ先があるのかと(笑)
東洋医学では臓腑が色々な症状の元になっています。つまり原因です。じゃあその臓腑が悪くなる原因て何?ってなりますよね。
よくいうストレスというのはもちろんあります。しかし東洋医学でも精神的な問題というのは治療に組み込まれているんです。でもやはり根本の原因を掴んでいるとは思えません。
仮に精神的な問題が根本の原因として、考え方や感情をどう解決するかということになります。
考え方というのはつまるところ思考の流れを文章にしたものだと思ってます。
患者さんに考え方を整えてもらうというのはとっても大事ですが、そもそも患者さんだってその点についてはある程度努力をしています。そもそも体調が悪くて心はバッチリという人はいません。外傷ならともかく慢性疾患だと何らかの精神的なものをかかえていると感じます。
ただ心の在り方というのもかなり身体に影響をあたえるのは確か。
その精神的なものさえも治療者の技術的なもので解決できないものだろうか。
精神的なもの、身体的なもの、その二つを包括した原因を解決する術はないのだろうか。
かなり行き過ぎた話になりました(-_-;)
つまり今身体に起きている現象や症状という結果に対してどこまで原因をさかのぼって対処できるのか。起きている結果の数より原因のほうが数は少ないはずなので、その分手数は減るはず。
深い原因にたどり着けば着くほど治療者の手数は減るし、数多くの結果に対してアプローチできるはず。
そう考えたときに東洋医学の臓腑経絡学説だけでは不満がでてきました。
東洋医学以外となると脊椎関係、またはスピリチュアルなものに興味がでてきます。
そして仮説へ その3
こんばんわ。karada89です。
治療のしくみ・技術に関して その2
こんばんわ。karada89です。
st(スティッキー)・・・右手のセンサーを異常部位にかざしたとき左手のテスター滑りが悪くなる。
sm(スムース) ・・・右手のセンサーを異常がない部位にかざしたときは左手のテスターの滑りは悪くならない。もしくは滑りがよくなる。
入江式 FT の基礎、診断と治療の話です。
法律上、漢方薬を私は使用できないのであくまでも鍼灸治療での診断になります。薬物を使う人も下記の流れに沿って応用できるようになってます。ただ薬物を使う診断の詳細説明は今回省いてます。
さて、 FT というのはあくまでもハードウェアであって、ソフトウェアがないと意味をもちません。この場合ハードウェアは FT で、ソフトウェアは東洋医学になります。
東洋医学といっても歴史の推移とともに変化がある様です。古代中国のその時代により内容に変化があります。私が習ったのは古代中国でも最も文化、そして文明が繁栄発達したといわれる 漢 の時代の頃のソフトウェアを利用したものみたいです。それを漢方医学と呼ぶことにします。漢字もそういういみではこの時代に作られたものなのかな。イメージ診断にも使えるしね(イメージ診断については後述します。)
現代では中医学と呼ばれるものがありますが、作家の故・司馬遼太郎さんいわく。
「理論が先行しすぎて臨床にあわなくなっている。」
ようなことを書いてあった気がします。違ってたらごめんなさい。
能書きはいいか。次ぎ行きます。
医学には違いないので臨床では
・診断(検査)
・治療
から成り立っています。当然ですね。
西洋医学と東洋医学の決定的な違いというのは、個人的には 「 流れ 」 を診れるか診れないか、そしてそれに効果的にアプローチできるかできないかというとことです。
血液の流れ、リンパの流れ、気の流れ、電気の流れ・・・
そいういう流れがうまくいってないところに異常が発生します。流れてないものを流れるようにしやすい医学、というのが個人的には漢方医学(東洋医学)なのかなと。
で、診断です。あくまでも入江式 FT を使ったものになります。
- 手掌診
- 脈診(臓・腑・経別・経脈・経筋・奇経)
- 腹診
- 経脈診・兪穴診・募穴診・経穴診
- 愁訴診
- 脊柱診
この他に詳細は省きますがテクニックとしてイメージ診断というものがあります。音素や文字、絵・色などを使います。身体というのは不思議で、音や文字などに共鳴したり反応したりするのです。耳を塞いで目をつぶっても反応します。
講習会では風邪のスパイラル図を使って風邪の診断を優先して診る事もありますね。まあこの話には深入りはせずに次に行きます。
大事なのは上記の1~6ですね。
流れとして、手掌診で身体を左右と上・中・下に分けて、そのどこにメインの症状があるのかを判別。
次に脈診でどこの臓・腑、経別・経脈・奇経もしくは経筋を優先して治せばいいのか。
脈診の結果と腹診・背診が一致しているかを確認。
そして具体的に治療ポイントを探しにかかる 4 の診断。
治療ポイントに刺激をして症状がどう変化しているかを診るために 5 の愁訴診。
仕上げに異常な脊柱がないかを診る(6)。
最後に1~6が全て sm になっていること。プラス、百会・壇中・大腿部前面・肩関節前面が sm になっていること。
この状態を目指します。
1~6が行われると身体の状態は熟睡しているのと同じような状態に近づくみたいです。つまり回復力が治療終了時点で最大に近づくということです。
かなり大雑把ですが流れはこうです。これに加え、気の状態を判別するために磁石を使用します。N極・S極を使って気の状態が 虚 なのか 実 なのかを判別します。
治療は 虚 には 補、実 には 瀉 です。
鍼灸治療上、直接的な刺激は 経穴 という 「点」 か、 経脈・経筋 という 「線」 に対してなので、実際の 補 と 寫 という刺激の使い分けもその 「点」 と 「線」 の虚実を診断し、その結果に対して行われます。
虚実の診断は、病態の把握をするため、またそれを解析して患者さんに伝えるために刺激部分だけではなく、1~6においても正しくしておくべきです。
診断を詳しく書くのは大変なので、詳細は正書を参照してください。
・臨床 東洋医学原論 入江FTによる診断と治療 入江 正(いりえ ただし) 著
・漢方治療原論 入江FTによる診断と治療 入江 正(いりえ ただし) 著
そして仮説へ その2
こんばんわ。karada89です。
st(スティッキー)・・・右手のセンサーを異常部位にかざしたとき左手のテスター滑りが悪くなる。
sm(スムース) ・・・右手のセンサーを異常がない部位にかざしたときは左手のテスターの滑りは悪くならない。もしくは滑りがよくなる。
《 FT を使用した治療で、診断部や患部の st を sm にする。そうすることで主訴や不定愁訴がとれる。また、改善できる。
しかし この治療の前提である 「異常な個所に st 」 を検出できないことがある。それはなにかが回復力の発動を弱めていたり邪魔していたり混乱させている可能性があって、治る力と悪くする力の喧嘩が起きていない。
なので患者さんの主訴部にきちんと st が検出できるように下ごしらえをする。つまり回復力を発動させる、強める、つまり喧嘩をするエネルギーを持たせることが必要なのでは。
そしてそれを治療者側の技術でなんとかしたい。》
前回までをまとめるとこんな感じでしょうか。
回復力を増幅させるというヒントは実は色々あります。
・東洋医学では 腎の気(先天の気・骨気・精気)、胃の気(後天の気・水穀の精微・)など
・冷え取り医学では内臓に溜まっている冷えと毒が症状の原因で症状は毒出しの結果。
・カイロプラクティックでは脊柱のサブラクセイション
・オステオパシーでは脳脊髄液の循環や頭蓋骨・脊柱・仙骨などの揺らぎや一時呼吸
・神道などでは気のエネルギー以外に「霊」のエネルギー、さらに強いエネルギーで
「神」があります。気が家庭用電気なら神は高圧電線などの強力なエネルギーレベル。
・神社や遺跡などパワースポットといわれるところ。
あくまでもヒントであってこれを FT でどうにかするとなると、いろいろ問題がある。そもそも FT が捉えているものってなにかわかりません。前にも書きましたが、気なのか、電磁波なのか、波動なのか・・・。ただ何かを捉えているとしかいえません。なのでいろいろなものを捉えるという前提で勝手に話をすすめます。というかそうするしかない。
東洋医学的なヒントで考えた時、腎と胃の強化というのがわかり易かったですね。腎の気と胃の気が混ざったものが人体を栄養する元の気になるからです。腎は冷えにすごく弱くお灸が必要な人があふれかえってます。冷えがない人はないという冷えとりの理論とも併用できそう。最初は腎や胃に関連する所にお灸をしたりしました。その際に患部になかった st が出現したりしました。ただ出現しない時もありました。またお灸のポイントもでたりでなかったりで。
「冷えの反応がいつもここにでてる」
「患部に st がないときは必ずこのポイントに刺激する。」
というものを期待したので、今のところ、腎と胃の気から回復力を増強させる、という試みは満足していません。臨床では使える形になってません。
パワースポットに患者さんを行かせるというのも、悪くはないですけど患者さん任せですし、なにより効果が未知数すぎますし、もはや患者さんに治療と捉えていただけないので却下。
それでは脊柱や脳脊髄液、または神道?などのヒントから考察していくべきか…
もちろんそこにもヒントはあると思ってます。ただ、そうなってくると、自分の中では東洋医学的な考えだけでは収まらなくなってしまいます。いや、むしろそうなってくるのが自然なのかも。
私の知人は本当に背骨の調整だけであらゆる疾患を治してます。逆に鍼だけで病気を治す人もいますし。もう色々です。
とにかく本来の回復力を呼び覚ますには何がいいのか。それも手間があまりかからないやり方で。そういうものを実現するには何をヒントにするべきか。
そう考えた時に、東洋医学に固執する事はないんじゃないのかと感じ始めました。
東洋医学ってバランスの医学なんですよね。シーソーの傾きを治すみたいな感じ。右が上がったら、右を下げて左を上げる。左が上がったら、左を下げて右を上げる。そうやってバランスを治療によってとってあげると症状が治っていく。
でもですね。もっと考えると、バランスをとるって本当は身体が勝手にとってるはずなんですね。バランスが崩れたのを自分で元に戻すのも回復力によるんじゃないかと。回復力さえあれば傾いたシーソーは勝手に水平になるんじゃないかと。
だから回復力の大元を治療できる理論があるとしたら、それは東洋医学の理論ではないのではないかと。
そう考えが変わりはじめました。
続く……
st(スティッキー) とは何なのか その5。そして仮説へ その1
こんばんは。karada89です。
st(スティッキー)・・・右手のセンサーを異常部位にかざしたとき左手のテスター滑りが悪くなる。
sm(スムース) ・・・右手のセンサーを異常がない部位にかざしたときは左手のテスターの滑りは悪くならない。もしくは滑りがよくなる。
同じお題にもう大分飽きてきたところだとおもいます。
なんでこんなにしつこく書くのかというと、 FT を使用する以上、臨床では stや sm という反応が治療の完成度の大事な判断基準の一つであり、施術をするにあたって生命線といってもいい程だからです。
たとえばお掃除をするにしても、判断基準というのは綺麗になったか、汚いままなのかということですよね。床に鼻をかんだティッシュが一つ落ちていたら、それを拾ってゴミ箱に捨てれば床のティッシュはなくなりますね。
基本的にはティッシュがそこにあって汚いなあと感じていれば st で、かたづけてなくなれば sm ということです。
ただここで問題があります。
ティッシュが落ちていても汚いと感じなければ、それは st ではないんです。
もしくは片づける気がなくても st ではないんですね。
少し極端な言い方に聞こえますが、そういうことなんです。
例えば・・・
今日は会社で嫌なことがあって、帰って掃除する気が起きないやー。昨夜の洗い物もしてないし…。もう今晩は色々サボちゃっお。
そんな身体の状態のときは FT をすると st を感じにくい時があります。
逆に
今晩は彼女がうちに来るぞー!あ、やべー!こんな部屋じゃ嫌われちゃう!いつもより念入りに掃除しておかなくちゃ…
てな状態のときは綺麗にするやる気が起きてるので st が割りかし強くでます。
なんとなく分かりますか?
身体が病的なのに身体自身が何らかの理由で十分な回復力を発動しない、もしくはできない事があります。身体の中が汚くて掃除をしなくてはいけないのに身体がやらない時、やれない時、やる気がない時があります。
そんな状態の時に痛いところや辛いところを FT で調べても、本当は st が感じとれる筈なのになんで sm なんだ?ということがよくあります。ありすぎます(私だけかもしれませんが)。
どうにかその回復力が発動してない身体に回復力を発動させたい。掃除をする気がない身体に掃除をする気を起こさせたい。その方法はないものか。
・どのようなことをすれば回復力を発動させることができるのか。
・つまり、どのようなことをすれば患部に喧嘩を起こさせることができるのか。
・どのようなことをすれば患部に st な反応を起こすことができるのか。
・それを施術者の技術でできないものだろうか。
そのようなチャレンジをしていきます。
続く・・・