身体(karada) hack

「治してやる!」 から 「なんか治っちゃう」へ

気持ちの問題。それが重要じゃない?

こんばんは、karada89 です。

 

 わたし、子供のころよくファミコンで遊んでいたんです。その世代。ドラクエ1とか2とか大好きでした。友達とどのくらい謎を解いたかって話でもりあがってました。

 

 TVゲームって結果がでるから超楽しい( *´艸`)。結果が出るように作られているから楽しいです。ある意味踊らされてるんですけど。

 

 きちんと上手くいくための手順とか道筋とかうまくいった時のご褒美とか全てが用意されている。どうしたって上手くいくようにできてるんだからこれ楽しい!ストレス解消になる。

 ただRPGなんかは、クリアした後今までの苦労も全部クリアされちゃうのでなんか時間を空費した感覚になっちゃう。「あ~。いままでの時間はなんだったんだろう」って。

 TVゲーム全般がそうではなくて、たとえば友達と対戦するゲームなんかはそんなことないし、いまのスマホゲームも通信で誰かとつながったり共通の話ができたりするのはやっぱり楽しい。

 そのゲーム自体が楽しいのにプラスして誰かとつながっているってのがゲームをやって虚しさを感じないコツなのかな。

 

 たぶんゲーム会社もそのへんの事をわかって作ってるんだろうなって感じる。すごいよね、ゲーム会社って(笑)

 

 

 上手くいくことをやってる時はやっぱ楽しいし自信とか優越感とか俺スゲーって感覚になれる。

 

 逆に上手くいかないことやってると俺ダメってなる。

 

 

 でもさ。自分が好きなことやってる時って上手くいっても簡単すぎるとつまらなかったり、逆に上手くいかない時に燃えてきたりするよね。

 

 これが好きなことかあ、っておもうわ。わかんないけど。

 

 そう考えると今の仕事って・・・微妙(笑)

 

 この微妙ってのがわかんなくしてるよね、自分の感覚を。

 

 

 心底嫌いだったらとっくにやめてるんだろうしね。

 

 続けてるってことは、まあ、まあまあ好きなのかな?

 

 

 わっかんなーい。

 

 

 

 いろいろ治療技術的に、「発見したかも!!!!」って瞬間は楽しいし、それで治ったらハッピーだし。

 でも治らなかったら凹んでるしね。ってことは好きな事じゃないのか?

 

 

 上手くいきそうだから、結果がでそうだからやる。

 

 上手くできなそうだから、結果がでなそうだからやらない。

 

ってのは別に悪い事ではないと思うんだよね。でもなんていうかなあ。なんていうかなあ。なんていうかなあ。なんていうのかなああああああ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんかパッとしない。

 

 

 

 

 

なんか輝かない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんか、暗い Σ(゚Å゚)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だから、俺ってば暗い。根暗(^▽^)/

 

どんまいどんまい。

 

 

 

 

 

 

 

 

感覚って 3

こんばんわ。karada89 です。

 

 治療をしていて、

 

 「お!これはよくなりそうかも❤」

 

って手ごたえを感じる時、それは詰まったものがとれてスッキリする感覚みたいなことを前回書いてみました。

 

karada89.hatenadiary.jp

  これって自分の身体を治療して気持ちよくなったり、考え事をしていてなにかに気付いて気持ちが楽になったときに自分自身にもすごく感じる感覚。スッキリしてつきものが落ちるというか。自分だとそれがよくわかる。

 

 この感覚って本来健康なら常日頃感じてる感覚なのかも。そうしたらもうただ呼吸してるだけで幸せじゃん!て思います。生きていることが気持ちよすぎ!ただ存在してりゃいいんだから笑っちゃう、くらい気持ちいい。これが幸せ感?

 

 

 

 私はこの幸せ感を治療で再現できたらいいなと、いろいろ試行錯誤している部分があるんだと思っていて、しかもそれは他人の為ではなく自分の為にやっている。

 

 昔から得も言われぬ不安感に襲われたりすることが時々、いや、しょっちゅうあって、いろいろ原因を考えているけれど、それが過去の出来事なんかな~、体験によるものなのかな~とかいろいろ考えたりするけど、それとは別にごくまれに妙に調子いい時はすごい安心感に包まれている時もあるわけで。調子がいい時ってなんで調子がいいか考えないし。

 

 ということは精神的とか心理的以外に、身体の調子によるところもあるのかなと。

 

 そんな症状がとれないかなあって自分のために治療している。

 

 心理学的に調べればいろいろそれなりの原因や要因が見つかるんだけども、解決方法はあまり大したものは見つけることができない。

 

 

 話はそれるけど、日々仕事で治療していると診断上、原因っていうのを考えるんだけども、原因には原因があって、その原因には更に原因があって・・・・っていうのを延々くりかして本当の原因て何?ってなる。

 

 そもそも原因なんてあるの?なんて身も蓋もない事まで考え始めたり、そもそも原因と結果の思考法そのものに問題があるのか?と感じ始めたり。なにか「そもそも」って前提をひっくり返さないと病気のことなんてなにもわからんような気になってる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ん?ひっくり返す?

 

 

 

 

 

 

 え?ひっくり返す??

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ひっくり返しちゃう???

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 原因と結果をひっくり返す?え??????逆なの?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

逆なの?もしかして逆?ていうか

 逆????????????????????????????????????

 

 ( ´゚д゚`)エー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

てそんなひらめきがあってですね。

 

そこからさらに閃いて、ひっくり返したのをまた元にもどしてもいいじゃねーか? と!

 

原因と結果とかって、上と下みたいなもん?

 

どっちが最初とかあんまりかんけないとか?

 

どっちでもいいのか?

 

どっちでもいいのか?

 

それでいいのか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

てなるとですよ。

 

 

 

病気になる ➡ 不安になる

 

健康になる ➡ 安心する

 

 

これを

 

 

不安になる ➡ 病気になる

 

安心する  ➡ 健康になる

 

 

でもいいんじゃね?

 

 

 

ついでに

 

 

ホッとする ➡ 安心する ➡ 健康になる

 

つまり

 

幸せ感 ➡ 安心感 ➡ 健康になる

 

ってこと。

 

 

 

で、この左から右へ向かう矢印は逆向きにしちゃってもいい。どっちが本当とかなくて、どっちもだしどっちでもいい。

 

 この矢印の向きを逆にするのはきっと因果関係で考えてることになんでもあてはまるんじゃないかなと。その時々で自由に矢印を変えちゃっていい。というか勝手に矢印を決めてんのはその人の思い込みかも。

 

 

 風邪をひいてしまって ➡ 熱がでる

 

 

 熱を出すために ➡ 風邪をひく

 

にしちゃってもいいんじゃない?だめ?

 

 

 

 ご飯を食べるから ➡ 太る

 

 

 太る体質だから ➡ 食べたくなる

 

 

 

 

 煙草を吸うから ➡ 呼吸器が悪くなる

 

 

 呼吸器が悪いから ➡ 煙草を吸いたくなる

 

 

 

 

 

 で、身体が悪くなると不安になる。不安になるといろいろ考えちゃう。

 

 不安になるといろいろ考えちゃうのは身体が悪いから。ってことはその今いろいろ考えてる原因は実は身体がただ悪いだけってのも有り。それが正しいのか間違ってるのかわからない。わからないから正解はなくて、ただその 

 

 

    思い込みの矢印の方向

 

 

はただの思い込み。それに気づかないのが病気。その感覚に気付かないのが病気。

 

おそらく気付いた瞬間に、おそらくその感覚が分かった瞬間に病気は減っていく。なかったことになると思う。

 この文章を読んで理解してもダメ。感覚。感覚。感覚。感覚。感覚。感覚。感覚。感覚。

 

 

 

 この矢印の向きをかえられない理由をどうしても探しちゃう。知識で探しちゃう。ググっちゃう(笑)

 

感覚って 2

こんばんわ。karada89 です。

 

前回の続き

 

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  感覚でエネルギーの種類を分けることができるとなると、それは FT で可能なんだろうか。

 

 FT って人間の五感のうちの触覚なんだけど、ずーっと FT やってるとなにか触覚以外の感覚もわかってくる、ような気がしてる。FT がそういう特性をもっているというよりも FT を毎日やってると元々備わってる感覚が研ぎ澄まされてくるような感じ。呼び起されるとでもいうのかな。

 

 で、その呼び起された感覚って五感のどれかというと、もうそれはわからない。第六感といわれるものなのかもよくわからない。第七感かもしれないし第百感かもしれないし。

 

 とにかくなんか感じる。

 

 とにかくなんか感じている数ある感覚の一つに うんちがお尻の穴を通過している最中のあのような感覚ってのがある。わたしの場合だけど。

 

 で、それはどんな時に感じるかというと、患者さんの症状がまだ取れてない、もしくはこのまま治療を終了しても回復しないだろうっていうとき。うんちが通過してる感覚といっても臨床中に実際自分のお尻に感じてるわけじゃないんだけども。

 うんちがスッキリ出きってしまった感覚なら改善するなと思えるんだけど、まだ直腸に残ってる感じだとあまり治療成績は良くない。詰まってる感。

 

 この詰まってる感は何が詰まってるのかというとそれはわからない。「気」なのかもしれないしそれ以外なのかもしれないし。

 ちなみにこの詰まってる感じは sm と st とは関係ない。

 

 st でも詰まってる感がなければ良くなっていくことが多い。

 

 

 

 

 

  感覚の話が個人的なものであるので、うんこが詰まった話はとりあえずおいておいて・・・・

 

  感覚って、極端に言えば自分だけのものだと思う。

 

 カレーライス食べて

  「これちょーうまくね?」

  「うんうん!すげーうまい!」

って瞬間、同じ感覚になってる気がするし、そういう状況だとなにか相手と一体になれたような感覚になるけどこのカレーがおいしいと感じてるその感覚はみんなその人だけのもの。

 

  このそれぞれの感覚を正確に「こんな感じ」って他者に伝える事ってできるんでしょうか。

 

 伝えるとなると伝えたい相手に自分と同じ事をさせて体験してもらえばいい気もするけど、やっぱり人それぞれ感じ方は違うわけで。

 

 自分で何言ってるのかわからなくなってきた(笑)

 

 

 

 

 治療に関してだけど、この感覚というのを可能ならば、文字にして文章にして、そして FT とリンクさせたいと考えています。そして他者に正確に伝えることができるようにしたい。

 

 FT っていう技術(ハードウェア)身体に覚えさせて、一方で診断学(ソフトウェア)を頭に叩き込み、そのハードとソフト両方を臨床で使い、そこで感覚を養っていく、それをソフトウェアにフィードバックして上書きしていく。

 ハードウェアはその人の感覚ではあるんだけど FT という技術が感覚を養う入り口になっている。そしてその技術の内容は sm(スムース)と st(スティッキー)の二種類でありそれもわかりやすい。sm st って感覚でありながら言葉で伝えやすいんじゃないかな。

感覚って

こんばんわ。karada89 です。

 

 わたしが治療のために読んだ本で 「邪気論」(医道の日本社) ていうのがあります。奥平 明観(おくだいら めいかん、であってると思う)という SUPERな先生が書いてます。いえいえ、お会いしたことはありません。高田馬場に治療院があるとかないとか。

 

 その方はいわゆる 気 をとらえて治療するようです。それですごい結果を出していらっしゃる。

 

 ところでわたしは 入江式フィンガーテスト というのを治療時に使うのですが、改めて入江先生が出版したテキストを読み返すとこの技術って

 

 - 気を捉える技術 -

 

とは書いてないんですよね。

 

 - 体表から発する微小反応を捉える技術 -

 

なんですよね。「気」とは言ってない。

 

 

 入江先生の真意はもうわかりませんが、これを見て個人的にまず納得です。入江FTが「気」を捉えてないとはいいませんが、そもそも「気」っていうのが正体不明。もしかしたら感じてるのかもしれないし捉えてるのかもしれないけど、その感じて捉えてるものを

 

 「これは気ですよ」

 

とは言えない。言わない。まあ言っちゃっても害はないけどわからない。

 

 そこで 邪気論。

 

 奥平先生は、気をコントロールしてるらしいのですが、どうやら気だけでは治せない、それを超えたものがあるっぽいことをこの本で言ってるんですよね、確か。超えたとはいってないかな。気以外のものだったかな。違かったらすいません。

 

 気でさえも不確定なのにそれ以外て何よ?

 

 今感じてるものを 

 

「これは気でこっちは気じゃないよ」

 

とでも言えるってこと?すげーなそれ!すげーかどうかもわからんけどスゲー!!!

 

 

 でも考えてみたら気がなにかしらのエネルギーだとしたら、ほかにも目に見えないエネルギーらしきものはたくさんあるわけで。そして人々はそれに様々な名称を勝手につけてる。

 光 熱 電力 磁力 物理的な力 オーラ チャクラ プネウマ ・・・・

たくさんあるよね。今日本語で思いつくのはこれくらいだけど、もしかしたら外国語も含めればもうきっと沢山あるに違いない。

 

 でも名づけるってことは違いがあるんでしょ?名づけるってことは分類してるんだもんね。きっとそうだ。

 

だから 「気」 って名づけてる。そういうものが分類できてる。

いまのわたしにはわからないけど、奥平先生や漢の時代の先生はきっとわかっていたはず。

 

 

 カイロプラクターの先生たちはどうやら神経エネルギーというものを調整している。

 鍼灸師はどうやら気というものを調整している。

 ヨガなどはどうやらチャクラをコントロールしてる。

 

気の調整で治らないもの。それとは違う種類の何かしら。それよりすごい何かしら。

 

 きっとそういうものがあって、そういうなにかで生きているっぽい。生き物は。

 

 んでもって、そういうなにかすごいエネルギーが正常に体の中を回れば、回すことができればいきもの本来の輝きが増すんジャマイカ?そう勝手にわたしは思ってる。

 

 そういう いきもの の中に流れてるなにか。そういうものがきちんとしてるのかどうなのか。その違いをどうやって見分けるのか。ありきたりな言葉だけどそれは

 

       

       「 感覚 」

 

 

 これがとっても大事だと思います。知識でなく感覚。理屈でなく感覚。理論でもなく感覚。なんかえらそーだけど。

 

 感じる事。それが今のところそういうなにかを捉える一番大事なものだと思います。ていうかそれ以外できないし。知らないし。

 

 その感覚ってのが「気」やそれ以外のなにかの違いを判別してるのかなと。逆に何かの力って感じる以外に捉える方法ってあるのかな?とさえ思う。

 

 例えばわたしは体重が55kgです。55kgっていわれてそれは軽い!と感じるのか重い!と感じるのか。ゴジュウゴ キログラム っていうのはただの分類であってその「重さ」という力を感じることは実際味わうことでしかわからない。

 

 名称はあくまでも分類で、そのまえに感覚としてのなにかがあるんだよねきっと。

毎日の仕事への意欲!?

こんばんわ。karada89 です。

 

さてさて、私の中の

 

「st sm 論争」

 

は、ひとまず落ち着かない、という形で落ち着きました。

 

 

karada89.hatenadiary.jp

 

 

 

 そんでは、次に何を試行錯誤しようかな。いろいろありすぎて困る。

 

 

 

 とりあえず今思っていることをつらつらと・・・

 

 

 

 そもそも FT をやりたい!と感じたのは、職場の先輩がそれを勉強していたからです。そこで知りました。

 患部が st で、それを sm にすれば治癒、なんて非常にわかりやすい。これはいいと喜びました。

 それまでの治療は痛い個所が術前にくらべてやわらかくなっているかとか、動かして痛いところが痛くなくなったか痛みが減少したかくらいしか指標がなかったんですね。みんなそうだと思いますけど。

 お医者さんみたいに血液検査ができるわけでもないしレントゲンやMRIがあるわけでもない。そのなかでどうやって診断して治せるんだろうって考える前に絶望感をもってましたね。この職業を選んだこと自体後悔してました。あ、それは今も良く感じるわ(*´Д`)

 診断・治療ができなくて、それにより治せないことがお客さんに申し訳ない、とかそんなことは思ってませんでした。そんな素敵な感想ではなかった。

 FT を知る前はこの仕事自体がただの苦行でしかなかった。

もうひたすら 仕事つまんねー(*´▽`*)

そして目の前のお客さんに対してひたすら 恐怖!!!

 

 そんな毎日でしたね。

 でもわたし馬鹿なので「これをみんな我慢してやってるんだ。弱音はいたら負けなんだ・・・」って弱音はいてました。あとよく発熱してましたね。今でもあのときこの道をとっととやめときゃよかったて思ってるもん(笑)もう相当ストレスでした。いや、ストレスです。

 この仕事を辞めちゃえばよかっただけなのに、どうにかこの不安から脱しなきゃって発想でうごいていたんだなあ。不安感が原動力。穴空いたからね、十二指腸に。

 

 まあそんななかの FT  との出会い。地獄のなかに降りてきた一本のクモの糸。速攻掴みましたね。

 

 あーーー。やっちゃったな俺。

 

 不安で弱ってる時に掴むものって大抵次の不安に繋がるよね(笑)ん?ということはあの時仕事辞めても辞めなくても不安に変わりはないってことか?まあそんなメンタルな話はいいや。

 

 とにかく掴みましたよ。掴んでしばらくして講習会に参加し始めました。FT塾。

 

 これでこの道で食っていける!しかも同業と差別化できる!!!しめしめグフフ・・・これで儲けられる!不安からの脱出だ!v( ̄Д ̄)v イエイ

 もうあれですね、この道を選んだ動機はなんなんだおまえ!って感じですよね。先生じゃないね。人に聞かせられないわ。

 

 まず 講習会に行くにあたって、東洋医学原論と漢方治療原論の二冊を買って読みました。なにこの本超たけーーー(;´・ω・)

 

 基本的な診断・治療手順を覚えましてた。手掌診やって 脈診やって 腹診やって センサーの形覚えて  磁石使って イオンパンピングコード使って st sm st sm st sm st sm st

sm・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 なにこれわかんね!!!(゚Д゚;)!!!

 

 

 え?俺だけ?もしかして俺だけ?みんなわかってんの?うそでしょ?またまたあ・・・教科書通りになってんの?まじで?本気で言ってる?

 

 どこが一本のクモの糸じゃい!!!!

 

 新たな不安と混乱のはじまりはじまりい~。

 

 いやあ。st と sm は感覚的にわかるようになったんですよね、多分。けどね、診断から治療の進行が全然教科書通りにいかない。そうならないことばっかり。手掌診からして違うから!(わたしの場合だけかも、だけど)

 と思いきや教科書通りにやって家族のインフルエンザとか30分で治っちゃうときなんかもあるんですよ。なんじゃこりゃ。

 

 あとこまったのは、この教科書通りにやって治ればそれだけで相当の施術時間短縮なんだけども、それでもわたしの業務上だと時間が足りない。磁石置いて診断する暇もないし、鍼して IPコード つなぐのも面倒くさい。そもそも診断できてないし!

 

 そこから FT を使って治療されている 吉本英夫 先生 の論文を読んだりしていろいろ自分なりに補おうとしてみてはみたものの、やっぱり教科書通りに治らない。そしてたまーに治る。

 

 悩みましたね。何に悩んでるかわからないことに悩みました。まず何が間違っているのかさえも良く分からなかった。FT の感度を上げるためにいろいろ訓練法をしてみたり、FT 使用時にいろんな音や文字や絵をイメージしまくったり。

 それでも診断ができないと治療にならない!って思いからいろいろ試しました。

 

 診断できないと患者さんになにが原因か伝えられないじゃないですか。

 診断した結果治らないと、診断が間違ってるから患者さんへの説明に重みが出ないじゃないですか。

 

 「また来て様子みせてくださいね~」

 

ってお客さんに言うのが恐怖。本当に 恐怖(゚Д゚;)

 

 でもほかにやりたいなって思える治療法がなかったんですよね。

だからこれに必死にしがみつきました。俺を救ってくれよお!!!!この不安から助けてえ~って感じです。

 

 そのままの思いで今日まで来てます。なんか被害者ぶってるみたいな文章ですね(笑)

 

 でも、治療を辞めずにいままで来たのはやっぱり FT  のお陰の部分は大きいです。毎日の仕事がただの仕事じゃなくて、研究所みたいになってました。研究と技術の試験場としての職場は考えてみれば幸せなことなのかもしれません。

 

 こうしてブログに成果を書こうと思えることを持てているわけだしね。

 

 

 なるべく成果が出たら記事にしていこうと思ってますので、なにか感じることがあれば見ていってくださいね(#^^#)

st とは何なのか? その6 中間報告

こんばんわ。karada89  です。

 

 ひさしぶりに考えをまとめてみようと思います。まとまってるんじゃなくて、今書きながらまとまるといいなあって感じです(^▽^;)

 

 

 

そんで話はこいつですよ。前とおんなじですけども

 

 

 

「 st と sm 」

 

 

 

これでしばらく悩んでました~。悩んでましたというよりまだ悩んでます。

 

st(スティッキー)・・・右手のセンサーを異常部位にかざしたとき左手のテスター滑りが悪くなる。

sm(スムース)  ・・・右手のセンサーを異常がない部位にかざしたときは左手のテスターの滑りは悪くならない。もしくは滑りがよくなる。

 

st が異常

sm が正常 でいいのか

 

 はたまた

 

st は喧嘩

sm は平和 という持論はどうなのか

 

これですね。いっつもこれがわからない。いまだに定義づけはできてない。

どっちも正しいとは思ってます。でもどっちも完全ではない。でもこの

 st と sm 

が判断基準だからここに信頼をおけるなにかが欲しい・・・

 

 いまこの st(sm) は何を表現しているの!?

 

ってところです。そんなふうに悩んでます。振り回されてます。きっと単純に st が sm になって治ってる先生もいるんだろうな。自分のやってることはこれでいいのか?ま、いっか。

 

 

 

 

 この間、左足関節の捻挫(実は靱帯より腱を痛めていた)をしたお客さんがきまして、患部を FT したんですね。

 

そしたら患部は sm でした。

 

で、

 

個人的に治癒力を正常化する(と思ってる)処置をした後に、患部を再び FT をしました。

 

そしたら患部が

 

めっちゃ st になりました

 

 

 これをどう考えるのか( ゚Д゚)

 

 ならった通りであれば、私がした処置をやる前から患部は st で、左手掌の手根部も st 。

のはず。

  しかし初見時は患部も左手掌も sm 。

治癒力を向上させてた後は手掌も患部も st 。

 

 入江式だと、患部も手掌も腹診も関連付けて、相関する st が出現すれば、その反応を消すような処置をマニュアルに従って sm にしていけばいい、ということになってます。

 しかしその相関する st が出現してない。こまった。手のうちようがない。

 それで悩んでいろいろと考察した結果の持論の過去記事からすれば、患部に st がでないってのは喧嘩が起きてないんでしょ?つまり治ろうとしてない。もしくはその力が弱いってこと。

 どうにか入江式で習った反応を出現させたい。それで治療をマニュアルどおりに進めたい。どうすれば?ということに対して、治癒力・回復力・治ろうとする力を向上させる治療を模索してます。

 

 

 治癒力が上がる

    ↓ 

 患部に治癒力が届く

    ↓

 患部に喧嘩が起こる

    ↓

 結果、FT で st を感じる

     

 

というのをわたしは勝手に言ってきたわけです。

 

 戦う力を身体に発揮させる という下ごしらえを施して患部に st を出現させる、ということをしたいんです。

 

 話はもどって・・・

 その足関節に st が出た状態で、湿布・固定を施して、胃経に皮内を貼付して様子を見てもらうことにしました。

 

 3日後に来院した際に痛みを聞くと 「だいぶ良くなった」 といってくれました。

 

 この良くなった状態って、教え通りだと患部は sm になっていなければいけませんよね。

 st だったところが sm になる。とってもシンプルそこが好き❤

 

 しかーし!

 

 実際このお客さん痛みがないのに患部は st のままです。どーなのこれ。

 

 sm って治ってんじゃないの?

 st って治ってないんじゃないの?

 

そーゆーことじゃないんだね。

 

 

 

 考えてみれば、主訴部でないところにも st が現れるっていうのはよくあることなので不思議ではないんですよね。

 

 どこまでいっても考察が終わらないので・・・

 

 

 

 

 終わらないから・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 ここで 中間報告 ってことで! 

そういうことにしていったん st と sm の話は区切ります!

これ、もしかしたら後で追記や補足の可能性は十分にあります。ご了承くださいませませ。

 

 

 

 

st というのは

 

 

 自覚症状があっても、自覚症状がなくても、治癒力が機能してるときは患部や患部にかかわる場所に出現するもの。

 身体自身が治したいところに治癒力を振り向けている最中は、その時の身体の都合によって修復中の箇所やそれに関連する場所に st を感知することができる。

 身体の都合っていうのは、身体自身が治したい優先順位があって、その優先順位を身体が自分勝手に決めていること。それは身体にしかわからない事。

 

 いまのところこんな感じです。

 

 

FT やっている方々はこんなところでつまづかないのかなあ。もっと別の悩み?

 

 

 

  

そして仮説へ その4

こんばんわ。karada89です。

 

 

karada89.hatenadiary.jp

  治療者が最小限の手数と最小限の疲労で患者さんの回復力を可能な限り高める。それによって患者さんの身体が、施術前より病気と喧嘩する力を強化し、医者いらずの身体になるよう導く。

  上記のことを現在、入江式フィンガーテストを使って実現しようとしている。

 そのためには講習会で習った理論のみでは満足できる結果が得られないため、独自の経験を元に理論の構築を進めています。

 

 1・まず st とは何かを定義する。

 2・その定義を基本に診断と治療の改良と見直し。

 3・見直し後の治療による結果の検証とフィードバック。

 4・診断方法と治療の再設定。そしてそれが時間短縮に向かうような方向性を持たせる。

 5・2〜4を繰り返し治療効果が上がらなかったり低下するようなら時間短縮の方向性を一旦諦め、視点を変える。

 

 今のところ上記の 1 の定義は自分の中で正しいと考えています。以前に書いた記事でも考察してます。回復力を上げることで病気と喧嘩するエネルギーを高める、ということ。

 ただFT講習会で習ったやり方は回復力を上げるということを目的とした治療はないと思います。あくまでも今ある回復力を利用して症状を取る。つまり患者さんの回復力に治療結果が左右されるということ。

 

 (しかし西洋医学のように、症状をとることと引き換えに副作用というダメージを残す事がかなり少ないため、症状を取ることでその症状に対して割り振っていた回復力を別の部分に振り向けることができるようになる、という意味ではかなり西洋医学より優れている。)

 

 もちろんそれは当然なのですけど、回復力を上げることで治らなかったものが治るようになる。または治るのに時間がかかったものがかからなくなる、ということを目指すときに、やはり回復力というものを高めたほうが良いと思うんです。

 今までのやり方では治らなかったものが治った。今まで1年かかって治ったものが一週間で治った。そういう可能性を上げるにはそもそもの治る力というものをどうやってより強力にしていくのかということを考えて実行していかなくてはならないと思うんです。

 

 FT講習会で習った当初は「これが根本の原因を治せる方法だ!」と興奮したものです。しかし治療を続けていくうちに、西洋医学よりは症状の原因を捉えているけど、もっともっと根本の原因が存在するとではないかと悩むようになりました。つまり入江式経別脈診で得られる情報も、ある意味結果でしかない訳です。

 漠然とした感覚での言い方ですけど、東洋医学は根本は内臓の気のバランスと流れを整える事で症状をとる、と捉えています。(臓腑経絡学説)

 しかし思ったのです。その流れとバランスさえも身体は勝手に治す力があるんじゃないかと。もっと簡単に治せる、東洋医学を上回ったやり方があるんじゃないかと。

 これを思った時はちょっと心が折れそうになりましたね。まだ先があるのかと(笑)

 

 東洋医学では臓腑が色々な症状の元になっています。つまり原因です。じゃあその臓腑が悪くなる原因て何?ってなりますよね。

よくいうストレスというのはもちろんあります。しかし東洋医学でも精神的な問題というのは治療に組み込まれているんです。でもやはり根本の原因を掴んでいるとは思えません。

 仮に精神的な問題が根本の原因として、考え方や感情をどう解決するかということになります。

 考え方というのはつまるところ思考の流れを文章にしたものだと思ってます。

 

 患者さんに考え方を整えてもらうというのはとっても大事ですが、そもそも患者さんだってその点についてはある程度努力をしています。そもそも体調が悪くて心はバッチリという人はいません。外傷ならともかく慢性疾患だと何らかの精神的なものをかかえていると感じます。

 ただ心の在り方というのもかなり身体に影響をあたえるのは確か。

 その精神的なものさえも治療者の技術的なもので解決できないものだろうか。

 精神的なもの、身体的なもの、その二つを包括した原因を解決する術はないのだろうか。

 

 

 

 かなり行き過ぎた話になりました(-_-;)

 

 

 つまり今身体に起きている現象や症状という結果に対してどこまで原因をさかのぼって対処できるのか。起きている結果の数より原因のほうが数は少ないはずなので、その分手数は減るはず。

 深い原因にたどり着けば着くほど治療者の手数は減るし、数多くの結果に対してアプローチできるはず。

 そう考えたときに東洋医学の臓腑経絡学説だけでは不満がでてきました。

 

 東洋医学以外となると脊椎関係、またはスピリチュアルなものに興味がでてきます。