感覚って
こんばんわ。karada89 です。
わたしが治療のために読んだ本で 「邪気論」(医道の日本社) ていうのがあります。奥平 明観(おくだいら めいかん、であってると思う)という SUPERな先生が書いてます。いえいえ、お会いしたことはありません。高田馬場に治療院があるとかないとか。
その方はいわゆる 気 をとらえて治療するようです。それですごい結果を出していらっしゃる。
ところでわたしは 入江式フィンガーテスト というのを治療時に使うのですが、改めて入江先生が出版したテキストを読み返すとこの技術って
- 気を捉える技術 -
とは書いてないんですよね。
- 体表から発する微小反応を捉える技術 -
なんですよね。「気」とは言ってない。
入江先生の真意はもうわかりませんが、これを見て個人的にまず納得です。入江FTが「気」を捉えてないとはいいませんが、そもそも「気」っていうのが正体不明。もしかしたら感じてるのかもしれないし捉えてるのかもしれないけど、その感じて捉えてるものを
「これは気ですよ」
とは言えない。言わない。まあ言っちゃっても害はないけどわからない。
そこで 邪気論。
奥平先生は、気をコントロールしてるらしいのですが、どうやら気だけでは治せない、それを超えたものがあるっぽいことをこの本で言ってるんですよね、確か。超えたとはいってないかな。気以外のものだったかな。違かったらすいません。
気でさえも不確定なのにそれ以外て何よ?
今感じてるものを
「これは気でこっちは気じゃないよ」
とでも言えるってこと?すげーなそれ!すげーかどうかもわからんけどスゲー!!!
でも考えてみたら気がなにかしらのエネルギーだとしたら、ほかにも目に見えないエネルギーらしきものはたくさんあるわけで。そして人々はそれに様々な名称を勝手につけてる。
光 熱 電力 磁力 物理的な力 オーラ チャクラ プネウマ ・・・・
たくさんあるよね。今日本語で思いつくのはこれくらいだけど、もしかしたら外国語も含めればもうきっと沢山あるに違いない。
でも名づけるってことは違いがあるんでしょ?名づけるってことは分類してるんだもんね。きっとそうだ。
だから 「気」 って名づけてる。そういうものが分類できてる。
いまのわたしにはわからないけど、奥平先生や漢の時代の先生はきっとわかっていたはず。
カイロプラクターの先生たちはどうやら神経エネルギーというものを調整している。
鍼灸師はどうやら気というものを調整している。
ヨガなどはどうやらチャクラをコントロールしてる。
気の調整で治らないもの。それとは違う種類の何かしら。それよりすごい何かしら。
きっとそういうものがあって、そういうなにかで生きているっぽい。生き物は。
んでもって、そういうなにかすごいエネルギーが正常に体の中を回れば、回すことができればいきもの本来の輝きが増すんジャマイカ?そう勝手にわたしは思ってる。
そういう いきもの の中に流れてるなにか。そういうものがきちんとしてるのかどうなのか。その違いをどうやって見分けるのか。ありきたりな言葉だけどそれは
「 感覚 」
これがとっても大事だと思います。知識でなく感覚。理屈でなく感覚。理論でもなく感覚。なんかえらそーだけど。
感じる事。それが今のところそういうなにかを捉える一番大事なものだと思います。ていうかそれ以外できないし。知らないし。
その感覚ってのが「気」やそれ以外のなにかの違いを判別してるのかなと。逆に何かの力って感じる以外に捉える方法ってあるのかな?とさえ思う。
例えばわたしは体重が55kgです。55kgっていわれてそれは軽い!と感じるのか重い!と感じるのか。ゴジュウゴ キログラム っていうのはただの分類であってその「重さ」という力を感じることは実際味わうことでしかわからない。
名称はあくまでも分類で、そのまえに感覚としてのなにかがあるんだよねきっと。