身体(karada) hack

「治してやる!」 から 「なんか治っちゃう」へ

補寫虚実の法則からの拡大解釈 その1

 こんばんは。karada89です。

 もはや朝だろうが昼だろうがこんばんは、って言っている。

 

 

 東洋医学の原理に補寫虚実ってあるじゃないですか。虚には補。実には寫。そのように刺激することで症状が改善する。考えても原理はわからないんですけどすごいことを発見したもんだなと。

 おかげで楽しく治療できてます。昔の中国人ありがとうです。

 

 個人的にこの凄さをどう解釈すればいいのかって疑問に感じたところから今回始まります。

 

 私は常々治療にしても生活にしてもなんでそうなったの?原因はなに?ってところを知りたいんですけど、最近そのなんで?を知ったところで症状や問題が必ずしも解決するわけではないんじゃないかな、と感じてしまってるんですよ。場合によっては原因なんて知らない方がいいんじゃないかと思う時もあるわけで。

 

 原因を知りたいなって思うのは、その原因がもとになって問題が生じてる、って理由を知ることで、原因を取り除けばその問題が解決できるんじゃないかって考え方からきてるんです。当たり前っちゃ当たり前なんですけど、それでどこまで問題が解決できるのかは、ケースによって全然違うんじゃないかって思うんです。

 

 前にも書いたんですけど、

 

karada89.hatenadiary.jp

 

これが原因だって特定してもその原因には更に原因があるわけで。だからその原因をずーっと上流までさかのぼれば今起きてるいろんな事象に惑わされないで、そこさえ押さえれば全てが解決できるって思ってたし、そうであると思うんです。まっとうな考え方だと思うんです。

 原因が結果を生んで、さらにその結果が別の結果を生む母体となって・・・そうやって下流に行けば行くほど対応しなきゃいけない事象が増加するから、いちいちそれに対応していたらきりがない。だから大元をおさえれば枝葉末節の事は考えなくていいし対応する手数も少なくて済むじゃん。それを診断というんでしょって。

 

 この考え方で間違っているとは思わないけど、これがすべてではなくてむしろ全体からしたら部分的な解決にはいいけれどもっと広範囲な問題には適応できないような気がします。

 この原因と結果という考え方ってなんていうんですかね?因果関係?でいいのかな?

 

 因果関係だとして、身体も世の中もこの因果関係だけで出来てないだろうなってところが今回の記事(独り言)です。東洋医学をやっていて何を今更って感じだよなあ(笑)

 

 

 

 

 

 シーソーが傾いていて、左が上がってれば当然右が下がってるわけで。その傾いてる状態を調べて、治療では左をさげて右を上げるわけですね。それでシーソーが水平に近づけば治癒。なんでシーソーを水平にしたら治るんだろうといつも不思議なんですけどとにかく治る。治ることになってる。

 これって左が上がっているから右が下がってるのか、右が下がっているから左が上がっているのかって言われると両方じゃないですか。どっちが原因ともいえるしどっちが結果ともいえる。つまりお互いに関係してるんですけど、おそらくこういう関係性を相関関係と言っていいんじゃなかと。

 このシーソーでは左と右が相関関係にある。なんか言っててバカみたいですけど。

 

 右を治したければ左を動かしても右は治るし左を元に戻したかったら右を元に戻せば左も戻る。どっちでもいいし片方だけでもなんとかなるんですよね。

 

 例えば左に10キロの重りが乗っていたら、10キロの重りを外してもいいし、右に10キロの重りを乗せてもシーソーは水平になる。

 

 大事なことは右と左のバランスをとること。別の言い方をすれば「差」をなくす事、なんだと思います。

 差をなくすことで循環するようになる。循環すれば治る力も増す。

 そのように感じるわけです。

 

 この考え方というか仕組みって実はどこにでも当てはまるし、とっても大事な事柄だと思います。世の中全般に当てはまるんではないでしょうか。

 

つづく(つもり)