身体(karada) hack

「治してやる!」 から 「なんか治っちゃう」へ

症状の意味について思う事 その1

こんばんは。karada89です。

 

今回は症状について思うところを書いてみます。

 

 

 日々来院される患者さんは医療機関に何をしに来ているのか?実はそれは人それぞれだったりするのですが、わたしとしては来院される目的は今ある症状をとりに来ている、のだと信じています。

 

 もう少し言うと 自覚症状 を取り除きたい。それにより 

 

  不快 ➡ 快

 

  不安 ➡ 安心

 

こうなりたいはず。

 

 

 その自覚症状というのを手っ取り早く取るものの代表的なのは「痛み止め」ですね。痛み止めは痛みに対してですが痛み以外の症状を止めるものとして、解熱剤とかステロイドとか。

 自覚症状というのは実際に自分で感じている症状の他に健康診断などの検査数値などもあると思います。例えば高血圧とかコレステロールとか体温とかそういう数値も個人的には自覚症状に含まれると思ってます。何故ならば患者さんの健康に対する知識(思い込み)が良くも悪くも昔に比べて深まっているからです。検査結果による数値をみて不快や不安になったりする。逆に数値をみて安心したりもする。数値が感情を不安定にさせる。

 

 セルフケアという意味合いで患者さんの医学的知識が高まるのは大変良いことだと思います。しかし物事の本質をみるというスタンスがないと検査結果に心が乱されることになり兼ねません。

 例えば高血圧を取り上げてみます。

 現在血圧の正常値は上が140mmhg未満、下が80mmhg以上、という目安になっています。(昔と基準が変わって、正常値の設定が高めになりました。これもおかしな話ですけどね。)

 この正常値から外れると高血圧とか低血圧とか症状名が付くわけです。因みに高血圧は上が140以上、下が90以上です。まあここまではいいんです。

 ただ、この数値だけを見て

「140を超えました、ハイ!こうけつあつ!!!残念!降圧剤決定。一生飲み続けますー。」

ってなったりもするわけです。

 問題は140を超えた血圧値をどう判断するのか、ということです。

 

 血圧って読んで字のごとく血液の圧力のことです。心臓と動脈で血液を身体の隅々まで届ける時にポンプのように圧力が必要なんですね。ポンプ圧を高めて速やかに必要な場所に必要なだけ血液を届ける。そのような機能が生き物には備わっている。素晴らしい!

 この血圧調整機能はよくできていて、例えば運動時に筋肉が多量の酸素を使用すると、その使用した酸素を速やかに補うべく血圧と心拍数を上げてわっしょいわっしょい血液を送り込みます。このわっしょいわっしょいな時は血圧高いです。上は180を超えたりもします。

 でもこの180だけを見て「やばい、高血圧だ!」とはなりませんよね?

 それは運動してる時だから上がるのが当たり前、と理解してるからです。そして運動をやめれば血圧も心拍も落ち着いてきます。

 

 この場合、本質をみるってことは仕組みを知ろうとするということで、仕組みを理解してると180の数値に動揺しないわけです。不安にならないわけですね。

 

この血圧に限って持論を言わせていただくと、わたしにとって血圧というのは消防車の水を出すポンプと一緒で、消火には水圧が必要。より高い建物の火災を消火するには水圧を上げてより遠くにより大量に水をおくらなければならないはず。その火災状況によるのでしょうが早く消すためにはより強く水をおくるはず。

 そして消火が進めば火はおさまってくるので水量も減らすし水圧も減らすはずですね。

 つまり何が言いたいかというと、身体が治したい場所(自覚症状の有無は関係なし)が火災現場で血圧が火消しだということ。治しておくべきところにはなるべく多く血液に栄養や酸素、修復するための材料を送りたい。また、患部からはなるべく余計なごみなどは早くどかしたい。そのためには血液の循環が必要なのではないかってこと。そしてその循環には血圧が必要なのではないかということ。

 

 あくまでも持論なのですが理に適ってると思うんですよね。高血圧のリスクで血管の破裂がありますけど、あれは高血圧が原因というより血管の硬化が問題だと考えるわけです。ホースを治さなければ火災現場まで水が届かないですね。水圧あげれないから。

 動脈硬化の原因を治すために血圧を上げてそちらの原因の箇所に血を送る。そういう風に身体はできてると思ってます。

 

 必要だから血圧が高いんです。でも数値だけをみて闇雲に降圧剤を常用すると血圧が下がるんですが身体自身が治したいところに血液が行きづらくなる。薬で血圧を下げられた身体はもっとポンプの力を増やして患部に血液を送ろうとする。それで血圧が上がる。その数値を診てより強い降圧剤を飲む・・・・・というスパイラルを長期間続けると心臓肥大を起こすようになる。薬で下がった血圧を補うために心臓が強化されてしまっているんですね。そのような患者さんの背中は心臓の裏あたりの背中の筋肉が膨れて硬くなっています。

 

 

 上記は血圧に関しての持論ですが、とにかく理にかなった身体の仕組みを理解しようと試みる、というスタンスがとても重要だと考えるわけです。今のこの苦しみ(症状)には一体どんな意味があるのか。

 熱が出る。下痢をする。咳をする。腰痛になる。頭痛になる。不安になる。・・・

 

 症状というのはただ単に苦しいだけではなく、実は自己治癒機能の働きの結果だというふうに考えた方がいろいろ辻褄が合うと思います。脳に疾患があって頭痛になったとして、頭痛を単に止めればいいのか、それともこの頭痛は何かのサインなのかな?と考えてから薬を飲むのでは全然ちがうと思うんですよね。

 個人的には頭痛というのはやはり何らかの形で脳神経系に負担がかかっている現れだと考えてます。肩こりが頭痛の元になっていたとして、肩こりがとれて頭痛がなくなれば、肩こりがなんらかの形で脳神経系に負担をかけていて、その負担を解消するために頭痛というサインを出していたんだな、と思うわけです。

 

 例えばですが、肩こりが原因で脳の血流量が減ったとします。脳というのは身体の中でも超重要な器官ですよね。ここにダメージを受ければ身体全体の機能に関わります。常に潤沢な血流を確保されてしかるべき器官です。その器官が肩こりのせいで血流量が減少したとしたら大事です。他の部位に優先して血流量を確保しなければなりません。その血流量確保の為に頭痛を起こすのではないか・・・。

 

 身体は優先して治したいところに強い痛みを起こして血流量(治癒力)を確保する機能が備わっている、という考え方です。

 ですから闇雲に痛みだけを消すというのは身体の治癒システムの運営の邪魔になるような気がします。痛みは辛いですが痛みだけ消すというのは危険な場合もあるのではないか。そしてそれは痛みを含めた症状全般に言えることではないのか、ということです。

 

 自覚症状 = 悪い事

 

ではないということです。症状は辛いけど。

 

 現代は医療も簡単に情報が手に入りますが物事を穿ってみるというスタンスでないと結果的に薬漬けになるような気がします。

「自覚症状から早く逃げたい。痛いの痛いの飛んでけーー!」

ばかりやってるとおかしなことになっていきます。

 

 自覚症状を消すことと病気を治すことがイコールではありません。辛いけど(笑)