何のために今頑張ってるのかなあ?
こんばんは。karada89です。
臨床上どうしても診断しなくちゃいけません。診断しないとどこにどう刺激するかきまりませんから。
でもめんどうなんですよね、診断て。触るだけで治したい。思うだけで治したい。いや、そもそも病気になんてならなければいいんだ(笑)。結構本気でそう思うんだ。
いろいろ回復力を上げる方法を考えているけどさ。例えば関節がずれて回復力が低下してたら関節を治せばいいんだけど、そのズレた関節を身体自身が治せないのがまたなんでだろって思うよね。ずれてんなら自分で治しゃいいんだよ、身体が。でもそこまでは強い回復力をもってないってことか。
治療家の役目って最終的には患者を無くすことで自分たちの仕事がなくなることじゃん?軍人の役目って最終的に平和にすることで軍事力が必要なくなるようにすることじゃん?
歴史的にみれば我々の仕事はなくなるわけないんだけど、身体も世界も自浄作用が低下すると病気と戦争が増えるんだよね。自浄作用がしっかりしてれば病気も戦争も減るわけで。そしたら医者も軍人も減るわけで。そしたら税金も減るよね。そしたら仕事量も減らせるから楽できるよね。そーなるといいなあ。
症状 と st その2
こんばんは。karada89です。
前回の続きをこの前書いていたんですけど、PCが勝手に再起動していて気づいたらブラウザも当然終了していて書いていた内容も全部消えちゃいました(;´・ω・)
しかも何書いてたかも忘れちゃったので気を取り直して書き直します。とりあえず前回の記事を貼りますね。
FTを覚えて便利になったけどそれによる疑問も増えた。それは今感知しているstは何に対してのstなのか。
そしてその感知したものを一枚ずつ先寫後補で剥がしていく。その剥がし続けていった先にもっと深い原因にたどり着けるはず。だけどもっと一気にそこまでたどり着きたいな。ってことを言いたかったのが前回。
stとは何なのかシリーズをもう一度見返してみました・・・
stってもしかしたら症状の一つなんじゃないか?っていうところからいろいろ思うんです。
まず、症状や病気っていうのは生物の場合完全に死んだらそういうものは無いんです。死んでしまえば治る力はもう無いんです。だから治癒反応も起きない。よって症状もない。
生きていて生命を維持する活動の結果として病気や症状というのがあるんです。その生命維持活動時に起きる体内の治癒反応が症状であり、FTだとstでそれが感知できるのではないか。
stにも強い弱いがあります。今更いう事でもないですが。
stが強い時、それは病邪と回復力が強くぶつかっている時。
stが弱い時、それは病邪と回復力が弱くぶつかっている時。
緊急性が高かったり激痛だったりそういう急性症状の時はstを強く感知できることが多いです。インフルエンザなんかはよく反応がでます。
慢性的なそこまで強い症状でない時。例えばなんとなく身体がだるいとか少し腰が重いとか症状が強烈でない場合などはstも強くない場合が多いです。
ここまではなんとなくわかると思うんです。ただこれは今ある症状だけを取りたいってときはこれでいいんですけどもっと長期的な症状であったり、家族歴的に弱いところを改善したいと考えた時にその原因に思いが至るわけです。
FTをしていてそれを治したいなってことはその対象がstでなくてはいけません。FT治療でできることは 「stを ⇒ smにする」という事だけです。原因を解決したいならその原因がstとしてどこかに表現されなければそれに対してアプローチすることができないわけです。
イメージ診断や音素診断などの共鳴現象を使ってFTをするのは症状に関与している病邪や内因の特定したいからです。共鳴現象をつかうことでより強くstを感知したり、隠れていた原因を特定できます。つまり治したい対象をより強くstとして感知できるわけですね。これは診断をより正確に行うためです。これは一つの原因へのアプローチの仕方といってもいいと思います。共鳴現象を用いることで反応が弱かったり感知しにくいものを強調して捉えるやり方です。
私が当時学んだ入江式診断法による主な診断部は、
・手掌診
・経別脈診(正経、経別、奇経)
・腹診
・経脈診
・経筋診
・愁訴診
・脊柱診
などで構成されてます。これに加えて吉本式の診断などもあります。
・四海診(今は六海?)
・骨格の歪みの診断(患者の手背と音素で診る。)
・その他
この上記の診断部以外に、よりその人の病の原因を表しているチェックポイントがあるのだろうか。もしくは上記の診断部で何かを改善すれば今まで診れなかったものも診えるのだろうか。
過去に何回か記事の中でさらっとつぶやいていますが、脊柱にヒントの一つがあるのではないか、いや、あるといいなあって感じで考えています。なぜそこに興味を持ったのかというと
カイロプラクティックでの理論や素晴らしい効果を見聞きしているため。
入江式脊柱の標治法で焼鍼を使用ときに経験した素晴らしい効果。
背部兪穴の使い方を入江式で教わっていない事。
杉田玄白の神経に通るのは「神気」というフレーズが引っかかってること。
東洋医学で「陰は陽に現れ、陽は陰に現れる」みたいな事を聞いたこと。
学校で習った陰気・陽気という概念を背部兪穴と腹部募穴に関連付けたいこと。
ある宗教での言葉や文字などなど。
etc・・・
他にもいろいろ数え切れないほどの理由があるのですが、入江式で腹部と経脈の相関関係は習ったんですが、背部と経脈の相関関係は言及してなかったというのがかなり気になっていました。
現在上記のキーワードをもとに臨床を行っていますが、なかなかいい効果を得られてる手ごたえを感じています。五十肩や長年の脚長差、親子で悪いところが似ている身体等、痛みはないがとても筋肉が硬くなかなか除去できないコリを診断できるようになってきました。
今までFTをしていて神経というもののランクは低かったのですが、いろいろ研究してみると神経や神経エネルギーというものはかなり重要な概念なのではと感じるようになりました。
同じFTをやっている方の意見を聞きたいですね。
症状 と st その1
こんばんは。karada89です。
私は症状や病気の原因を知って、治療では患者さんの自覚症状に振り回されることなく施術にあたりたいと考え、入江式FTというものを学んでいます。
入江式診断法で診断してみると、現代医学では何が原因かわからなかったものもわかったりして本当にありがたいし楽しいです。
症状というのは現象であり結果であります。その現象が起きるには理由がありそれが原因だと考えます。
どうやって原因にたどり着くのか。どのような方法で原因にアプローチするのか。またその技術はどんなものなのか。その技術は臨床で現実的に使えるのか。そのような疑問を入江式FTは解決してくれます。
FTを学んだことで一歩踏み込んだ治療が可能になりました。
ってかくといいことづくめみたいですね~。
一つ知ると二つ以上の疑問が発生する(笑)(/ω\)
ははは・・・。
ごめんなさい。わけわかんないです。取り乱しました。
えーとですね。話はFTですよ。
FTはstを感知して、施術によってそれをsmにすることで治す技法です。
これも繰り返しですが
st = 異常
sm = 正常
これが大前提です。
しかし臨床をやっていると上の前提が不安定になります。
つまり st を sm にしても必ず治っているとは限らない、ということです。まじかよ!なんて日だ( 益 )。
(今回の記事は考察ではないんですが、ちょっと考えると)もしかしたら st というのもある意味症状の一つみたいなものなのではないだろうかと頭の中をよぎるわけです。
根本の原因を探す手がかりとして st を見つけ出すわけですが、その見つけた stというのも更に奥深くに眠っている原因の一つの現れ方に過ぎないのではないだろうか、ということ。
1 症状
↑
2 原因(st)
↑
3 更なる原因(stかも)
↑
4 更なる原因の更なる原因(stかも(;´・ω・))
↑
5 もう言わなくてもわかるよね(以下続く【無限かも(゚Д゚;)】)
以前佐賀の吉本先生のFTの論文を医道の日本で読んだ中に、
「東洋医学の治療の原則として 先補後寫 というものがあるが、FTで治療する場合 先寫後補 で進めていく・・・」
的なことを書いた記事があったと記憶しています。
例えば急性腰痛を治療していく場合、入江式で診断していくと以下の反応などがあったとします。
・風邪(膀胱メイン 大腸サブなど)
・寒邪
・経筋
・脊椎や骨盤など骨格のゆがみ
・胃腸の不調
・慢性的な内臓疾患
・その他遺伝や精神的なものなど
実際に診断してみないと確かなことは言えないですけど、急性腰痛であればFTで診断していくとおそらく経筋や風邪の反応、もしくは骨格の歪みなどが一番最初に感知検出出来る事が多いと思います。
患者さんに慢性的な病気、たとえば糖尿病があったとして、普段は糖尿病の脈診反応だったとしても、急性腰痛などになると反応の仕方は一変すると思います。
FTの特性上、一番stが強い反応なものから治療していくようにできています。ここで上記の「糖尿病患者の急性腰痛」というモデルを診断治療していくと、まず風邪や経筋や骨格の歪みのstが一通りsmになった後にようやく胃腸の不調のst、そしてその次に糖尿病の反応や精神的なもののstなどが出現してくる。
東洋医学的な病気の発生機序として、普段のストレスや内臓病などの内因により治癒力が減退した所に風邪や寒邪、姿勢不良などの外因が作用し一挙に腰痛という症状が表現されるのではないだろうか。
このモデルの場合おおまかに言うと急性腰痛の原因(内因)は
・胃腸の不調
・慢性的な内臓疾患
・その他遺伝や精神的なものなど
だと考える。
しかし実際FTを使用して治療を進めていく際は
・風邪(膀胱メイン 大腸サブなど)
・寒邪
・経筋
・脊椎や骨盤など骨格のゆがみ
おそらくこれらを先に除去することになるはず。
東洋医学の治療原則に則れば、先補後寫なので、まず全体の虚(内臓疾患によるもの)を補った後に実の病邪(外因)を追い出すようにする、という事になるがFTを使用して治療していく時、強いstから除去していこうとすると、病邪(実)を先に寫し、それらの治療の後にようやく慢性疾患(虚)のstが出現してくる。
急性の症状がある時は慢性疾患の反応は一旦影をひそめて急性の反応にがらっと変わってしまいます。
今の症状の原因であるstを取り除くと次のstが出現する。その出現したstを取り除くとまた別のstが現れる。その繰り返し。
次々と現れるstを取り除いていった先にはどんな原因が待っているのか。
症状の原因と思われるものをFTを使ってstを感知してそれを取り除く。FTを知る前よりはるかに病態を正確にとらえて原因を除去できるようになったと思っていたけど治療に終わりはありませんね。五感を使っていては診えないものがFTを覚えたことで診えるようになった。だからといって物事の原因と結果の法則をひっくり返せるわけでもなくFTで何かがわかるようになった反面それによるわからない事もそれ以上に増えてきてます。
それで最初の方でわけわからないことを口走ってました ⇒ (/ω\)
こう考えてみると、その人がもっているすべての病気をFTで同時に捉える事というのはできないという事です。患者さんが今の症状を発現するに至る病気の原因と結果の蓄積が何層にも重なっているんですね。そしてその層をFTを使った治療で表層から深層にむかって一枚ずつ反応を取り除いていく。
表層のstほど症状といえるし、深層のstほど原因といえるがそれはあくまでも相対的な捉え方でしかないんですね。
しかし私としては相対的な反応を一枚一枚丁寧にはがしていくのは面倒で、理想を言えばいきなり根元を取り除きたいんです。それが無理ならせめて一枚一枚じゃなくて何枚かいっぺんに取り除きたい。とにかく楽に仕事したい。
そのためにはただ単に目の前にあるstを今まで通りのやり方だけで捉えるのでは足りないような気がしてます。
世の中にはそれはもう摩訶不思議なやりかたで重い病気を取り除いてしまう先生方もいるんですよね。そういう人たちはいったい何を感じているのだろうか。
そういうものをいつかコントロールできるようになりたいけど、今のところは無理なのでこうしてFTをつかっていろいろ試してます。
そして今個人的なブームは脊柱の矯正、そして「気」以外と思われるエネルギーをFTで捉えて臨床で治療に応用していることです。脊柱の矯正もあくまでも筋肉や経脈の調整で行っていくやり方です。そしてそれらの調整が入江式の本治法の効果をより向上させるのではないかと期待しています。
st とは何なのか? その7 常識を疑ってみる
こんばんは。karada89です。
久方ぶりに書いてます。私の日常はいたって変わりなく過ぎていってます。
臨床にてFTを使用していかに楽して治すか。
もうこれに尽きます。その毎日。
入江式FTを使って治療していますが、入江式のマニュアル診断を忠実に行う時間的な余裕がありません。そして入江式の診断方法のみだと取り切れない症状があまりにも多い気がします。ですので時短と治療効果の向上をもとめて試行錯誤しています。
そのような形で自分なりの考え方でstを追い求めていたら、今のところ自分が一体どこにいるのかわからなくなっています。答えに近づいてるのか遠のいているのかわかりません。
ただ技術的には焼鍼を使うことが多いですね。刺さないし、お客さんも治療してもらっている感がありますし便利ですね。治療効果もよくでます。
IPは置鍼してやる分にはいいんですが、ツボによっては鍼を刺すには敏感な場所もあるし、だからといって接触IPだと治療してもらってる感が少ないようです。劇的な効果が出る方はその限りではないんでしょうけどね。
話は変わりますがこの夏頃、私は大きく体調を崩してしまいました。左の眼球のひどい痛みと激しい頭痛に襲われ、特に最初の2日間は一睡もできないほどでした。自分が病気の時にFTで検査するのって非常に体力というか気力を消耗するので疲れるんですけど、このときは何とか治りたくて自分で必死で診断しました。
結果的に入江式に接触でIPをつないで治療しました。その結果つないで5分もしないうちに寝ていました。痛みもほぼ取れて一安心しました。こういう結果をみると入江式FTすげーってなるんですけど、お客さん全員にこのすげーを体感させるには至りません。
過去に妻のインフルエンザを入江式IP治療でやはり即治させた経験が何度かあるのですが、急性症状で症状が強く出ている風邪なんかは患者からでている反応がすごく捉えやすくて入江式のマニュアルに沿って治療していくと本当によく治るなあと体験しました。
過去に繰り返し書いてますけど、FTで治療するばあい
「st を sm にする。」
というのが前提です。
というこは、stがまずないとsmにできないんです。
上記の風邪の時みたく、きちんと講習で習った通りの反応ならわかりやすいのですが、臨床だと、とくに整形外科的な疾患だとわかりずらいです。私だけかもですが。
以前にstとはなにかを考察してきて中間報告を書きました。
日々の臨床でこの報告はやっぱり間違ってないと考えている反面、逆にこの報告は早計だったのかもと不安になるときもあります。
ただ単に自分のFTの感度が悪いだけで主訴部には必ずstが出現してるって先生方もおられるはず。stがないからほかのところを治療して回復力を強化すればstが出現するとか回りくどいことを言うのはFTが下手なのを言い訳しているだけなんじゃないか。そう考えてしまう時もありますね。実際そうかもしれないし(笑)
今回stについてこんなに迷っている文章を上で中間報告を書いてしまったという事も有りいろいろ試した結果、治癒力を強化しているかはわかりませんが、stが検出できなかったところに検出できるようには大分なってきました。
そうなった経緯に手背センサーの定義を見直したことにあります。
上記二つの記事も確定事項として発表してるわけではないのですが、
手背センサー = 寒邪
を疑うようにしてからは治療成績が上がっています。詳細は書きませんけども。
症状の意味について思う事 その1
こんばんは。karada89です。
今回は症状について思うところを書いてみます。
日々来院される患者さんは医療機関に何をしに来ているのか?実はそれは人それぞれだったりするのですが、わたしとしては来院される目的は今ある症状をとりに来ている、のだと信じています。
もう少し言うと 自覚症状 を取り除きたい。それにより
不快 ➡ 快
不安 ➡ 安心
こうなりたいはず。
その自覚症状というのを手っ取り早く取るものの代表的なのは「痛み止め」ですね。痛み止めは痛みに対してですが痛み以外の症状を止めるものとして、解熱剤とかステロイドとか。
自覚症状というのは実際に自分で感じている症状の他に健康診断などの検査数値などもあると思います。例えば高血圧とかコレステロールとか体温とかそういう数値も個人的には自覚症状に含まれると思ってます。何故ならば患者さんの健康に対する知識(思い込み)が良くも悪くも昔に比べて深まっているからです。検査結果による数値をみて不快や不安になったりする。逆に数値をみて安心したりもする。数値が感情を不安定にさせる。
セルフケアという意味合いで患者さんの医学的知識が高まるのは大変良いことだと思います。しかし物事の本質をみるというスタンスがないと検査結果に心が乱されることになり兼ねません。
例えば高血圧を取り上げてみます。
現在血圧の正常値は上が140mmhg未満、下が80mmhg以上、という目安になっています。(昔と基準が変わって、正常値の設定が高めになりました。これもおかしな話ですけどね。)
この正常値から外れると高血圧とか低血圧とか症状名が付くわけです。因みに高血圧は上が140以上、下が90以上です。まあここまではいいんです。
ただ、この数値だけを見て
「140を超えました、ハイ!こうけつあつ!!!残念!降圧剤決定。一生飲み続けますー。」
ってなったりもするわけです。
問題は140を超えた血圧値をどう判断するのか、ということです。
血圧って読んで字のごとく血液の圧力のことです。心臓と動脈で血液を身体の隅々まで届ける時にポンプのように圧力が必要なんですね。ポンプ圧を高めて速やかに必要な場所に必要なだけ血液を届ける。そのような機能が生き物には備わっている。素晴らしい!
この血圧調整機能はよくできていて、例えば運動時に筋肉が多量の酸素を使用すると、その使用した酸素を速やかに補うべく血圧と心拍数を上げてわっしょいわっしょい血液を送り込みます。このわっしょいわっしょいな時は血圧高いです。上は180を超えたりもします。
でもこの180だけを見て「やばい、高血圧だ!」とはなりませんよね?
それは運動してる時だから上がるのが当たり前、と理解してるからです。そして運動をやめれば血圧も心拍も落ち着いてきます。
この場合、本質をみるってことは仕組みを知ろうとするということで、仕組みを理解してると180の数値に動揺しないわけです。不安にならないわけですね。
この血圧に限って持論を言わせていただくと、わたしにとって血圧というのは消防車の水を出すポンプと一緒で、消火には水圧が必要。より高い建物の火災を消火するには水圧を上げてより遠くにより大量に水をおくらなければならないはず。その火災状況によるのでしょうが早く消すためにはより強く水をおくるはず。
そして消火が進めば火はおさまってくるので水量も減らすし水圧も減らすはずですね。
つまり何が言いたいかというと、身体が治したい場所(自覚症状の有無は関係なし)が火災現場で血圧が火消しだということ。治しておくべきところにはなるべく多く血液に栄養や酸素、修復するための材料を送りたい。また、患部からはなるべく余計なごみなどは早くどかしたい。そのためには血液の循環が必要なのではないかってこと。そしてその循環には血圧が必要なのではないかということ。
あくまでも持論なのですが理に適ってると思うんですよね。高血圧のリスクで血管の破裂がありますけど、あれは高血圧が原因というより血管の硬化が問題だと考えるわけです。ホースを治さなければ火災現場まで水が届かないですね。水圧あげれないから。
動脈硬化の原因を治すために血圧を上げてそちらの原因の箇所に血を送る。そういう風に身体はできてると思ってます。
必要だから血圧が高いんです。でも数値だけをみて闇雲に降圧剤を常用すると血圧が下がるんですが身体自身が治したいところに血液が行きづらくなる。薬で血圧を下げられた身体はもっとポンプの力を増やして患部に血液を送ろうとする。それで血圧が上がる。その数値を診てより強い降圧剤を飲む・・・・・というスパイラルを長期間続けると心臓肥大を起こすようになる。薬で下がった血圧を補うために心臓が強化されてしまっているんですね。そのような患者さんの背中は心臓の裏あたりの背中の筋肉が膨れて硬くなっています。
上記は血圧に関しての持論ですが、とにかく理にかなった身体の仕組みを理解しようと試みる、というスタンスがとても重要だと考えるわけです。今のこの苦しみ(症状)には一体どんな意味があるのか。
熱が出る。下痢をする。咳をする。腰痛になる。頭痛になる。不安になる。・・・
症状というのはただ単に苦しいだけではなく、実は自己治癒機能の働きの結果だというふうに考えた方がいろいろ辻褄が合うと思います。脳に疾患があって頭痛になったとして、頭痛を単に止めればいいのか、それともこの頭痛は何かのサインなのかな?と考えてから薬を飲むのでは全然ちがうと思うんですよね。
個人的には頭痛というのはやはり何らかの形で脳神経系に負担がかかっている現れだと考えてます。肩こりが頭痛の元になっていたとして、肩こりがとれて頭痛がなくなれば、肩こりがなんらかの形で脳神経系に負担をかけていて、その負担を解消するために頭痛というサインを出していたんだな、と思うわけです。
例えばですが、肩こりが原因で脳の血流量が減ったとします。脳というのは身体の中でも超重要な器官ですよね。ここにダメージを受ければ身体全体の機能に関わります。常に潤沢な血流を確保されてしかるべき器官です。その器官が肩こりのせいで血流量が減少したとしたら大事です。他の部位に優先して血流量を確保しなければなりません。その血流量確保の為に頭痛を起こすのではないか・・・。
身体は優先して治したいところに強い痛みを起こして血流量(治癒力)を確保する機能が備わっている、という考え方です。
ですから闇雲に痛みだけを消すというのは身体の治癒システムの運営の邪魔になるような気がします。痛みは辛いですが痛みだけ消すというのは危険な場合もあるのではないか。そしてそれは痛みを含めた症状全般に言えることではないのか、ということです。
自覚症状 = 悪い事
ではないということです。症状は辛いけど。
現代は医療も簡単に情報が手に入りますが物事を穿ってみるというスタンスでないと結果的に薬漬けになるような気がします。
「自覚症状から早く逃げたい。痛いの痛いの飛んでけーー!」
ばかりやってるとおかしなことになっていきます。
自覚症状を消すことと病気を治すことがイコールではありません。辛いけど(笑)
手背センサー(術者側)の役目 2
こんばんわkarada89です。
前回の
【手背センサー(術者側)の役目 1】
ここで書いたセンサーの役目についての続きです。
FTを使用しての臨床の場合、FTというのは検査機器だと考えるわけです。検査機器のはじき出した情報を解析・分析・診断をして治療方法を決定するわけです。だから検査機器の情報が不正確であったり統一性がなかったりすると治療方法に誤りが発生する原因となってしまいます。
いかにFTの感度と精度を高めるか、というのがFT使用者の修練の目的であり課題でもあると考えています。
そのFTというのはセンサーとテスターという役割をそれぞれ片手づつに課します。FTを練習した結果、このセンサーとテスターの感度と精度があがるのが望ましいわけです。
ここでセンサーをとりあげると、センサーはいくつか種類がありますが、病気の情報によってその都度センサーの形(手の形)や当て方を変えます。
例えば手掌で感知できなかったものが手背で感知できる、とか、患者さんの体表に接触して感知できなかったものが触れないでFTをしたことにより感知できる、とか。
つまりセンサーの感度をいくら高めてもセンサーの種類が違っていれば感知できない反応もあるわけです。今回の表題で言いたいのはこのことで、患者さんの体表から出る病の反応とそれに対応するセンサーの種類の定義というものが実はまだ定まっていないんではないのかという事です。
前回、例として経筋病を捉えることにフォーカスしましたが、そのとき使用したセンサーの分類を試しにしてみると
1 a 手背 or b 手掌
2 a 音素をイメージする or b しない
3 a 接触 or b 非接触
上記のように3分類6種のセンサーが個人的には考えられます。
実際臨床で上記の分類を使うとして、患部の反応を診る時
手背を接触させながら「ボウ」(音素)をかける、とか。
手掌を接触させないで音素もかけない、とか
手背を接触させないで音素をかける、とか。
病気の反応が違えばこのように組み合わせが変わるのではないかと。
試しに上記の3分類に考えられる病気の反応を当てはめてみると
1 冷えとそれ以外
2 経筋かそうでないか
3 急性か慢性化
または
1 陰気か陽気か
2 冷えかそれ以外か
3 経筋か経脈か
など。
いかがでしょうか。個人的にこう考えているだけでみなさん問題にもされてないかたもいると思います。
東洋医学は陰陽論なので裏と表、光と影、内と外、上と下、動脈と静脈、理性と感情...と常に二面性や矛盾を肯定している医学だと思います。むしろ矛盾がこの世に実在するための大前提!と言ってるようにも思います。矛盾万歳!!!!みたいな(笑)
センサーも常に陽と陰みたく対になってる病邪をとらえるために相対する2つの種類のセンサーを1分類としていくつかあると思ってます。
手背センサー(術者側)の役目 1
こんばんわ karada89 です。
FT をやっていて診断に使うセンサーのお話です。
過去に私が東京FT塾で習った時点では、施術者側のセンサーは大きく分けて
・S1
・S2
・S3
に加えて
・奇経診断部のセンサー
・経筋のセンサー
・経脈を感知する親指を除いた4本指をそろえるセンサー
の六つでした。
そこに手背センサーという名前のものはなかったです。
医道の日本のFTの記事を読んだりして新たに得たセンサーがあり、その中に手背センサーというものがありました。
その手背センサーというものは論文によるとどうやら 「寒」 に反応するようです。
手背側というのは陰陽論でいくと 陽 ということらしく
手掌側というのは反対の 陰 になる、という事みたいですね。
寒邪というのは外邪の中の一つで冬に発生しやすいものです。現代ではエアコンや冷蔵庫などが発達したため、現代人というのは常に寒邪に侵されやすいとか。
で、陽である手背というのが寒邪に敏感に反応しやすい性質をもっているらしく、患者さんの症状に寒邪が関与している場合、この手背センサーでその有無を確認し治療するということです。
東洋医学原論をよく読んでみれば、FTの習得方法の一つにコップの中身がお湯か冷水かを当てるというものがあって、冷水の場合手背センサーで st になるみたいなことが記載されてますね。手背は陽なので、陰の性質である冷水の気は陽を傷つける、故に害になるので st になる、ということらしい。確か。
(めんどくさくて後述するかわかりませんがこの定義も疑問)
なので私もそのころは
寒邪には手背センサー
と思い込んでました。今も頭の端っこにはそういう認識を留めてあります。
そこでですが。FTの診断法のなかにイメージ診断というものがありまして、これ、みなさんご存じな方もいらっしゃるとおもいますけど。
術者がイメージしたものが患者さんの体内に存在していればFTが st になるというものです。
患者さんが風邪をひいていれば、施術者は頭の中で「風邪」という文字をイメージしてFTをすると st に.なるという個人的にはワンダフルな現象が起きます。O-RING TESTとかやってない人は到底理解できない現象ですよね。
イメージするのは私の場合もっぱら文字ですが、絵でもいいし写真でもいいし、なんなら物でも音でもいいんです。
このイメージ診断はO-RINGテストでいう共鳴現象だと思います。この共鳴現象というものが存在する、と確信した上でFTを使っていますが、これであれこれ文字の共鳴を調べてみるとですね、先ほど記述した寒邪ってのが怪しいんすよ。
寒邪は手背センサー
ってやつが怪しい。
臨床で寒邪という文字を頭に浮かべてFTをすると st になる時は確かにあります。
しかし、それは手背センサーで st だったところに寒邪という文字で必ず共鳴現象として認識できるのかというと個人的にそれはないです。
つまり・・・
手背で st = 寒邪がある
ではないってことです。確定ではないんですけどね。
話は少しズレますが、FTを習いたての頃教えられたこと、もしくは論文に書いてあることになんか一貫性を感じ取れなくて困惑していることがいくつかありました。しかし
自分はまだまだFTが下手だからこんなことに疑問をもつなんておこがましい!
とかわけわからない形で思考を封印して疑問を晴らさずに放置してました。もっともその疑問を晴らすだけの能力と自信と準備が全く整ってなかったからなんですけどね。その困惑しているいくつかのひとつにこの手背センサーがありました。
例えば
経筋の証を手掌診断で確認するために、S2もしくはS3のセンサーを相手の手掌にあてながら「ボウ」という音素をイメージします。
「ボウ」で st が強くなる場合、次は手背センサー(講習会ではこの名前ではなかった)で親指を除いた4本の指をまっすぐ伸ばしそろえた状態で、指先を患者さんの頭の方に向けて顔面と胸部と鼠蹊部あたりにある経筋診断部にあてFTをして st かどうかを診断します。
上記で st なら、さらに手足に流れる6本づつのどの経筋に異常があるかを調べていきます。このとき使用するセンサーは中指の手背側を使います。手の形はファ〇クユーみたくなるかも。
治療は焼鍼を使って経筋の流注に沿って手足の末端から中枢に向かって接触していく・・・
ここで疑問、は俺だけ?
なぜ手掌診のときはS2などのセンサーをつかって音素をかけるのに、その次の診断では手背センサーを使用するのか?
経筋が寒邪に侵されているとして、手背センサーを使うのは理解できる。加えて手背を接触させて診断するのは経脈でなく経筋を捉えるためなのか?とも推測する。
でもそれならば「ボウ」が経筋の音素というのはどうなるのか?患部にS2センサーで「ボウ」をイメージしても良いのではないか?または手掌に手背センサーを接触させて診断してはいけないのか?手掌と患部で感知できる反応に統一性を求めてはいけないのか。
そして【S2センサーで「ボウ」の音素の診断方法】が【寒邪に侵された経筋】を捉えているとしたら【手背センサーで患部に接触させて捉えているもの】というのはなんなのか?逆に【手背センサーで患部に接触させて捉えているもの】が【寒邪に侵された経筋】を捉えているとしたら【S2センサーで「ボウ」の音素の診断方法】でとらえているものはなんなのか?
どちらも【寒邪に侵された経筋】をとらえているというのなら診断方法に混乱をきたすだけだと思うのだけどどうだろうか。ここに一つの一貫性のなさを感じた。
ここだけ見て入江式FT診断方法全体をひっくり返すわけではないが、手背センサーの感知するもの、手掌センサーの感知するものが一定しない。また「ボウ」という音素が経筋というのも確定できない。もしかした「ボウ」は 寒邪に侵された経筋 でなくてただ単に 寒邪 を感知しているのかもしれないと捉えることもできるはず。
ある論文では
手背センサーで「ボウ」は寒邪による経筋病
手掌センサーで「ボウ」は熱邪による経筋病
熱邪による経筋病は入江先生はドライアイスで処置してましたね。
この論文だと確かに手背センサーは寒邪と定義できるし、「ボウ」は経筋病と決めることができる。
しかしそうなるとFT塾で習った 手掌センサーを使って手掌診で「ボウ」のやり方は熱邪の経筋病の診断になっちゃうじゃん!手掌診では熱邪を捉えて、患部では寒邪を捉えるの?おかしくね?
とおもうわけです。
あとそもそもの話になっちゃうので混乱させてしまうかもですが。
FTって共鳴現象の側面があるじゃないですか。先ほど記述した 手背側は陽 として手背センサーを使用した場合、手背は陽だから陽性のものと共鳴現象を起こす可能性はないのか?とも思うわけです。それがあるから手背センサーは寒邪を感知する!との定義はなおさら疑問なわけですよ。
ここまで書いておいてなんですが、あれこれ今までの知識を疑って、臨床で試行錯誤して検証して、患者さんが一番効率よく治ったときのやり方や方法論が正解ってことですよね。
もしどなたかアドバイスなどがありましたらコメントいただけると嬉しいっす!
え?タダじゃ教えない?