身体(karada) hack

「治してやる!」 から 「なんか治っちゃう」へ

FTを続けているわけ

 こんばんは。karada89です。

 

 私がFTを使って治療にあたっている理由というか、FT以外をあまりやりたがらない理由というか、そういうのがありまして。

 

 

 入江式FTっていうのはやっぱり私にとってハードウェアなんですね。検査機器とでも言いましょうか。その点レントゲンやMRI、超音波や血液検査などと変わらないわけです。

 検査機器で調べて画像や数値がはじきだされる。それを診て状況を判断する。検査機器で出た結果は判断材料の一つというわけです。ですので検査結果だけを見てそのまま何かがわかるわけではないんですね。もしわかるとすればそれは診てる人が医学を勉強しているからです。まああたりまえですよね。

 

 まず医学がある。できればその医学が体系だっている必要がある。その医学の中に診断と治療がある。

 そして西洋医学であっても東洋医学であっても解剖学や生理学があります。病理学もあれば臨床学もあります。栄養学も養生学もあります。つまり身体の仕組みをそれぞれ違う視点で説明しているってだけでやっていることは同じなわけです。

 どちらの医学が優れているかというのを言いたいのではなくどちらも医学としての構造があるわけです。

 

 どちらの医学も身体が正常な状態と異常な状態を説明していて、どっちの状態でも身体がそれぞれどうなっているか説明してます。正常でも異常でもその時の状態を検査機器で調べるとそれぞれの状態が結果として検出できます。そして異常であればその異常を正常にする、または正常に近づけるような治療をします。

 治療家としての能力は検査した様々な結果からどういう治療が一番効果があるのかを読み取ることだと思います。そこには失敗もあれば成功もある。成功にも度合いがある。

 

 医学と言われるものにはこうした学問や学術をベースとして、診断(検査)から治療、そして効果の確認という流れがあって、見方の違いはあれど治療にあたる際の大まかな流れは一緒だと思います。

 診断が決まらなければ治療方法も決まらない。誤診があれば誤治がある。その原則は一緒ではないかと。

 

 もし誤診・誤治があったとします。しかし医学として構造をなしていれば、何が誤診・誤治の原因について議論・検討することができる。そしてそれを次の治療に生かすことができる。それが医学の発達につながる。

 

 西洋医学のポテンシャル。東洋医学のポテンシャル。それぞれ限界はあると思いますが物事を解決しようとする姿勢が感じられます。

 西洋医学は科学の進歩が医学の進歩になっている。東洋医学は人が持っている感覚を上手く使っていると思う。

 科学の進歩が、感覚の発達が、それぞれの医学に貢献していると思うし、より高度な医療へとすすむ武器となっていると感じます。

 

 

 私はFTという感覚を使う診断技術を駆使して東洋医学を使用しています。FTというハードウェアを使って東洋医学というソフトウェアを走らせています。

 

 ハードも優れていると思っているし、ソフトも宝の山と信じてます。

 

 ハードを向上させればソフトをより深く読み込むことができるし、そうなればより深い病気も治せるはずだし誤治も減らすことができると思ってます。

 

 

 

 このハードとソフトという考え方というか体系というか。

 

 こういうものがないと自分のやっていることや今いる現在地や治療成果の程度などが推し量れないと思うんです。

 

 なんといったらいいのか・・・。

 

 例えば、

 

 

 

 知り合いが背骨の矯正のみで施術しています。評判はなかなかいいみたいです。それでもその知り合いは悩んでます。なかなか治せない。なかなか治らない。と。

 

 

 別に珍しい話ではないですけどね。すべてを治せるわけではないのだから。

 

でも、治したい。

 

 

となった時にどう解決するのか?自分のやり方をどう改めるのか。どこにどんな問題があるのか。それをどうやってみつけているのだろうか。といつも疑問に感じてます。

 

 矯正そのものは素晴らしい効果を発揮します。個人的に体感してますし。施術者側もその効果を知っているでしょう。

 しかし時にはもくろみ通り効果が出ないケースもあるはずです。その際何かを見直さなければならない時、今までのやり方で治らなかったとき、特に今までの診断方法が通用しなくなったときは診断理論を見直さなければならないと私は考えます。そして時にはその診断理論のベースになっているその医学の法則を見直そうとするときもあります。

 

 西洋医学の医者ではない私は病院で使う検査機器は使えないので、どうしても手の感覚や患者さんの話から情報を得ることが多くなります。

 脈や血圧、体温などは図れますが病院での検査に比べれば微々たる情報。それでも重要な情報ですが。そこにFTという診断技術をもちこんで、そして東洋医学を利用してどうにか自分なりに体の情報を集めようともがいてます。

 

 感覚だけ、もしくは知識だけ。

 

 それだけでは私はここまでもがけないです。時に東洋医学の知識にたより、ときにFTという感覚にたより・・・いまのところ沈まずに泳いでます。

 

 ソフトとハード。知識と感覚。東洋医学とFT。

 

そういう組み合わせでもがけるからこそFTをやめられないのかもしれません。

 

ほかにもっと簡単な方法があればいいんですけどね。

 

 

 

心持ち

 こんばんは。karada89です。

 

 臨床は相変わらず頑張っています。治そうと思って治らなかったり、こんなんでは良くならないよな、って思ってたら翌日結果が良好だったり。

 

 治そうと思って治ったものは検証としてはよく、治療行為としてもよい。

 

 治るはずと思って治らなかったものは検証として気づきを与えてくれるが、診断ミス。

 

 治るはずがないと思って治ったものは新たな領域への一歩の可能性。

 

試行錯誤の毎日です。

 

 

 

 

 

非現実的な提案ですが、出来たら超楽しそう!

 こんばんは。karada89です。

 

 

 きょうは妄想です。いや。いつもかな。

 

 

 

 何を妄想しているのか。

 

 

 それは、今やっている自分の治療技術がよりよいものになったら、それを各家庭でだれかが当たり前のようにそれを使って家族を治せるようになること。

 

 もちろんそれは私個人のビジネスのようなものとしても成り立ってほしいが、夢は一般の人々が医者いらずで過ごせること。

 

 一番は誰もが個人レベルで予防する意識をもって病気にならないことが望ましい。しかし人生で全く体調を崩すことなく過ごせるわけはないので、その場合医者にお金を払ってかかるという手段の一つ前に、各家庭で誰かがFTを使用して(別にFTでなくてもいいけど)病気を治す、もしくは軽減することができるようになるのが望ましい。

 

 現代医学はウイルス性や細菌による疾病や外科的な緊急治療において科学の進歩と共に偉大な結果を残しています。

 ただそれは、生き物が健康から病気になり、そして治癒するというサイクルの中で他人が行える治療手段としては最終段階で使用する手段と私は考えています。その一つ二つ手前の段階でもう少し体をよくする方法がないものだろうかと妄想しています。

 

 ちょっと捻挫をしました。風邪を引きました。インフルエンザになりました。寒さにやられました。足がつりました。ぎっくり腰や寝違えました。気分が悪いです。落ち込んでいますなどなどそういうものに対しては、高度な医療機器を必要としなくても治癒に向かわせることができる東洋医学を使った治療で各ご家庭にて解決できるようになれば社会全体において経済的な負担をだいぶ軽減できるのではなかろうか。

 

 言っておきたいのは、自己責任で治療するというのが非常に大事。健康管理は個人レベルや家庭レベルにおいて自己責任で管理するものだと私は常々思ってます。それにより薬に頼らず手術でリスクを負うことなく自分に責任をもって自分で体調管理をできるようになれば、本当に現代医学を必要とする患者さんがもっとしっかり治療を受ける余裕を確保できるのではないか。

 

 

 以前にも書いたが、自分がその仕事をつづけた先の最終目標は、自分の役目が終わること。医療で言えば、治して治して最終的に治す対象がいなくなること。

 

 FTは習えばだれもができるものだから、それが一般家庭レベルで浸透してくれたら私の役目は終わると思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 

 

 

 

 

………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いやあ。妄想にも程があるわあwww。

 

 

 

ま、頑張ろっと。

 

 

治療院が繁盛とか世の中おかしい証拠だね

 こんばんは。karada89です。

 

 世の中、というのか日本だけなのかわかりませんが、巷には多種多様な治療法がありますね。ここでいう治療法という言葉の中にはリラクゼーションと呼ばれるような癒し系も含まれています。

 これだけあふれているという事はまさに生き物を治す方法がわかっていない、ということの裏返しだと思うわけです。そしてそれは即ち生き物というものが解明できてないとも言える。

 

 東洋医学では人を治す方法のランクが大きく分けて3段階あって

 ・薬

 ・手技(針灸含む)

 ・衣食住

上記がその3つです。

 

 この3つでどれが一番程度が高いかというとそれは衣食住で、一番低いのが薬だそうです。

 

 衣食住というのは治療に思えないかもしれませんが、病気の原因が日々にあるとするれば、衣食住を正すというのは病気の原因を減らすことになるのですから、これも予防というか治療になってるわけです。そして衣食住を正すという事自体は身体への負担というか副作用がかなり少ないのですね。

 一方、薬による治療というのは本来の身体にない成分をいれて行う治療だから身体の負担が生じるわけですね。それに薬を飲むくらいの病状ですから医者に行かなきゃいけないし、その時間とお金もかかるわけです。いろいろロスが大きいんですよね。

 みんなが衣食住を気を付ければ医療費も少なく済むし病気に関わる時間も少なくて済むから結局は社会全体の負担も減る事になる。

 

 医療を高めるというのは病人を減らすことで社会の負担も減らす役目があるということですね。

 そのために身体の仕組みをもっともっとわからないといけないんですけど、そんな科学力はまだまだ地球にはありませんね。

 

 からだの仕組みもわかってないし、わからないか病気のしくみも本当のところよくわかってないし。だから病気になってしまったら完全に治してもらうことはまだ全然不可能ってこと。

 そーゆーわけなので、みなさん病気にならないように独自で頑張っていきましょう。

 

 もともとみんな生き物で生まれてきてるんだから。生き物って勝手に治ろうとしてるものだから。それを信じきろう!!!

きっと本当は治療なんて大した行為じゃないと思ってる。もっと簡単なはず。

 こんばんは。karada89です。

 

 最近自分の顔を鏡で見ると齢をとったなあ、と嫌な気分になるんです。齢をとることそれ自体より自分の顔が加齢で汚くなってくるのが嫌なんですよ。肌がかさついてきたり、シミが増えてきたり、つやがなくなってきたり。

 ふと自分の子供の顔をみるとほんとに綺麗で剥きたてのゆで卵の感じ。若さってスゲーわ。

 爺ちゃんちゃんが孫をかわいいと感じるのは子供から生気を吸い取れるからなんじゃないかと以前に思ったことがあるんだけど、どーやらそれは本当の事のようなきがしてならない。小さくて可愛らしいから可愛いのはもちろんだけど、エネルギーをもらえるからただそこにいてくれるだけでもうれしくなっちゃうんじゃないかな。自分の子供でさえも一緒にいると元気になるような気がするから年寄りにとっては元気が溢れている子供はみずみずしくて、乾いたスポンジのような自分が子供のエネルギーで潤っていくんじゃないかな。そんで、じいちゃん子婆ちゃん子は弱いってのも昔からいわれてて、孫は生気を吸い取られて弱くなるんじゃないの?

 

 目に見えない事を言ってるからなーんも確証はないけどね。

 ただ。

 もしそういう外からエネルギーを自分に取り込めるとして、なにもそれは人からだけじゃなく、その辺の空間に漂ってるかもしれないエネルギーを体内に取り入れることができて乾いたスポンジが潤わすことができたらもっともっと力強く病気やけがに負けない身体にすることができるんじゃないかな。

 

 自分の身体だけでエネルギーを作っているんじゃなくて、外から入ってくるエネルギーもあることがもし事実だとして、いったいどうすれば、どういう身体になればそういう事が可能になるのかな。

 おそらく何も意識してなくても外からのエネルギーはみんな取り込んで生きているはずなんだ。何故そう思うのかというと、植物を観ているとそう思う。

 植物は音楽を聞かせたり声をかけたり外の雨にあたったりするとすごく生き生きしてくる。逆に空気が流れないところに置いたり、電子レンジとかが近くにあったり、汚い言葉をかけたりするとどんどんしおれていく。空気・水・光を与えれば確かに生きることはできるんだろうけど、輝く様に生きるにはそれだけでは足りない気がする。

 

 もっと気持ちよく、もっと楽しく、ただただ生きてるだけでワクワクできるはずの身体をみんなもってるはずだから。それをどう加速させていくのか。それをどう治療していくのか。

 きっとそんなに難しい技術ではないと思ってます。施術者側が疲労困憊になって患者が元気になるような治療法ではないと思ってます。逆に治療してあげればあげるほどこっちも元気になるようなやり方が本当なんだと思う。

 それを目指して試行錯誤してます。

補寫虚実の法則からの拡大解釈 その1

 こんばんは。karada89です。

 もはや朝だろうが昼だろうがこんばんは、って言っている。

 

 

 東洋医学の原理に補寫虚実ってあるじゃないですか。虚には補。実には寫。そのように刺激することで症状が改善する。考えても原理はわからないんですけどすごいことを発見したもんだなと。

 おかげで楽しく治療できてます。昔の中国人ありがとうです。

 

 個人的にこの凄さをどう解釈すればいいのかって疑問に感じたところから今回始まります。

 

 私は常々治療にしても生活にしてもなんでそうなったの?原因はなに?ってところを知りたいんですけど、最近そのなんで?を知ったところで症状や問題が必ずしも解決するわけではないんじゃないかな、と感じてしまってるんですよ。場合によっては原因なんて知らない方がいいんじゃないかと思う時もあるわけで。

 

 原因を知りたいなって思うのは、その原因がもとになって問題が生じてる、って理由を知ることで、原因を取り除けばその問題が解決できるんじゃないかって考え方からきてるんです。当たり前っちゃ当たり前なんですけど、それでどこまで問題が解決できるのかは、ケースによって全然違うんじゃないかって思うんです。

 

 前にも書いたんですけど、

 

karada89.hatenadiary.jp

 

これが原因だって特定してもその原因には更に原因があるわけで。だからその原因をずーっと上流までさかのぼれば今起きてるいろんな事象に惑わされないで、そこさえ押さえれば全てが解決できるって思ってたし、そうであると思うんです。まっとうな考え方だと思うんです。

 原因が結果を生んで、さらにその結果が別の結果を生む母体となって・・・そうやって下流に行けば行くほど対応しなきゃいけない事象が増加するから、いちいちそれに対応していたらきりがない。だから大元をおさえれば枝葉末節の事は考えなくていいし対応する手数も少なくて済むじゃん。それを診断というんでしょって。

 

 この考え方で間違っているとは思わないけど、これがすべてではなくてむしろ全体からしたら部分的な解決にはいいけれどもっと広範囲な問題には適応できないような気がします。

 この原因と結果という考え方ってなんていうんですかね?因果関係?でいいのかな?

 

 因果関係だとして、身体も世の中もこの因果関係だけで出来てないだろうなってところが今回の記事(独り言)です。東洋医学をやっていて何を今更って感じだよなあ(笑)

 

 

 

 

 

 シーソーが傾いていて、左が上がってれば当然右が下がってるわけで。その傾いてる状態を調べて、治療では左をさげて右を上げるわけですね。それでシーソーが水平に近づけば治癒。なんでシーソーを水平にしたら治るんだろうといつも不思議なんですけどとにかく治る。治ることになってる。

 これって左が上がっているから右が下がってるのか、右が下がっているから左が上がっているのかって言われると両方じゃないですか。どっちが原因ともいえるしどっちが結果ともいえる。つまりお互いに関係してるんですけど、おそらくこういう関係性を相関関係と言っていいんじゃなかと。

 このシーソーでは左と右が相関関係にある。なんか言っててバカみたいですけど。

 

 右を治したければ左を動かしても右は治るし左を元に戻したかったら右を元に戻せば左も戻る。どっちでもいいし片方だけでもなんとかなるんですよね。

 

 例えば左に10キロの重りが乗っていたら、10キロの重りを外してもいいし、右に10キロの重りを乗せてもシーソーは水平になる。

 

 大事なことは右と左のバランスをとること。別の言い方をすれば「差」をなくす事、なんだと思います。

 差をなくすことで循環するようになる。循環すれば治る力も増す。

 そのように感じるわけです。

 

 この考え方というか仕組みって実はどこにでも当てはまるし、とっても大事な事柄だと思います。世の中全般に当てはまるんではないでしょうか。

 

つづく(つもり)

手掌診の意義

こんばんは。karada89です。

 

 FT診断の大きな特徴として手掌診があります。入江正先生の大きな功績の一つがこの手掌診だと考えています。

 

 手掌診は大枠で身体のどこを、またはどの反応を優先して治療を行うのかを決定する大事な大事な診断法です。この手掌診を行うことで無駄な治療の手数を減らすことができますし、そして目先のstや症状に囚われずに何の病態を優先して治すべきかも判断できます。誤診を減らすためにも行ったほうがいいものです。

 

 どういうものかというと、患者の手掌をセンサーを当てながらFTをするのですが、まず左右の比較をします。左手は左半身の異常、右手は右半身の異常が現れます。左右の手掌を比較してよりstが強い方の手掌を更に詳しく分割して、上焦·中焦·下焦に分けてその三つのどれが一番stかを診ます。

 上焦の反応が示すものは主に上半身の異常や風邪の初期症状などです。花粉症や風邪で頭痛や鼻水が主訴の場合などにstが出ます。肩こりで自覚症状がある場合も同様です。

 中焦の反応は腹部の痛みや内蔵の症状など。糖尿病や肝炎に由来するだるさや不眠などで出たりします。単純に食べ過ぎてお腹が痛いなどでも出ます。

 下焦は腰から下の症状です。腰痛や膝痛はもちろん、膀胱炎や痛風による症状などです。

 このように自覚症状をどこに感じているかで手掌で一番強く反応が出るポイントが変化します。(手掌の上焦・中焦・下焦の区分けはFTの教科書に載っています。)

 

 

 先日右腰部痛の患者が来院してきました。普段からそれほど腰痛になる要素が少ない方で、パッと見で治るまでそんなには手間はかからないだろうと踏んで治療にあたりました。この時、時間がなく急いでいたので手掌診はせず問診と愁訴診から判断して治療を開始しました。

 その時点での診断は胸腰椎の歪みと仙腸関節の異常。右水・土・金の経筋病、軽い右胃メインの経脈病でした。各種治療を施し、患部のstがsmに変化したことを確認して患者をベッドから座位にしたところまだ起き上がるのが辛そうでした。こんなはずではなかったのに~。

 改めて座位の患者の背後に回り患部をFTしてもやっぱりそれほど強いstは感知できません。

 治療時間は限られているので焦りましたが患者をそのまま座らせたまま手掌診を行ったところ右下焦に寒邪の反応が残ってました。結構強かったですね。でも患部には寒邪の反応はありませんでした。そこで患部(愁訴部)を面でなく線で、つまり患部を通過する経脈(膀胱経)と帯脈の経脈診を行ったところ、膀胱経上に寒邪の反応を感知しました。

 

 私は(も?)患部のstがsmになれば、治療効果の持続性はともかくその場の痛みは消えるものだと短絡的に考えていた時もありました。しかしそれは浅はかな考え方であり、手掌診断を軽視していた現れでもありました。

 手掌部、脈診部、腹部、胸部、大腿部(前面)、頭部(百会や角孫など)を治療後に確認する重要性は正書に記載されているのに、現場の忙しさのせいにしてそれらを怠っていました。このような症例を経験したおかげで手掌のstを消去することで治療のやり直しを防げる確率が高まり結果的に臨床での焦る気持ちが少なくなったのです。

 

 上記の患者はその膀胱経の寒邪を抜くために下腿部に温熱鍼で刺激を加えて立ち上がってもらったらほぼ痛みが消失しました。手掌部の下焦ももちろんsmでした。

 

 身体の大枠をみてどのstを優先的に除去していくか、というのが大切で、患部のstを出発点としてしまうと治療が泥沼化してしまいます。

 例えば患部に骨格の歪みのみの反応があったとしても、手掌診では胃腸の反応が一番stであればそちらを優先して治療すべきです。その後に患部と手掌を改めてFTをして骨格の歪みで共通していれば最後の仕上げで歪みの反応を除去するとスッキリ痛みが取れる確率が高いです。またこのように治療を進めた方が症状の再発率も下げることができます。

 

 局所は局所で必要とする刺激があるのは確かですが、それとは別に身体全体としてまず優先してほしい刺激があるのです。身体を治すための司令部がどこかにあってその司令部の要求に従って治療をしていく方がいいです。司令部が脳にあるのかわかりませんけど、その情報を効率よく得ることができるのが手掌なのではないかと考えます。